福音の丘
                         

蒔いてくれてありがとう

年間第11主日
カトリック上野教会
第一朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル17・22‐24
第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント5・6‐10)
福音朗読:マルコによる福音(マルコ4・26-34)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 種まきといえばですね、今、育てている種があるんですよ。浅草教会の屋上にプランターを並べて、今一斉に芽が出てきたところです。まずは、朝顔。この朝顔は、2003年に新潟県の小さな集落で生まれた「明後日朝顔」というアートプロジェクトの朝顔で、その種を各地の協力者が毎年受け継いで育てそれを記録し、また次の地に受け継がせるというもので、縁あってそれに協力してるんですけども。
 それにしても、可愛いね、朝顔の種。種に添付されてた説明書には色々書いてあってですね、朝顔の種って黒くって、みかんの房みたいな形してるじゃないですか、その丸い方を爪やすりで擦れって書いてあるんですよ。そうすると固い種が割れやすくって、発芽がよくなると。そして蒔く前の日に水に漬けておけと。それを土に1.5cmくらい指で穴開けて、ピンセットでつまんで、根の出る白い部分を下にして埋めろと。でまあ、言われるとおりにしたらもう、翌々日には一斉に緑の芽が出てきて、毎日伸びていく、その様子はもう何でしょう、子育てしている方って、これの100倍、いや、10000倍くらい幸せな気持ちなんだろうなって思いましたよ。自分の蒔いた種が、芽吹いてそれが大きくなっていく。もう可愛くってしょうがない。とか言いながら、数日前に一日だけ水やるの忘れたら、みんな萎れちゃって(笑)、慌てて水やったり。花が開くのがほんとに楽しみです。
 他にも、ツルムラサキ、ご存じですか。大好きなんですよ、さっと茹でたツルムラサキ。一斉に芽が出てきました。それから、コリアンダー。パクチーね、これも一斉に芽が出てきた。それから私、芽キャベツが好きなんで、芽キャベツの種も蒔いたらこれも芽がでてきた。芽キャベツをそのまま電子レンジでチンしてマヨネーズで食べるんです。まあ、可愛い可愛いとか言いながら食っちゃうわけですけどね(笑)。この夏は楽しみだな。
 それにしても種から芽が出てくる、この喜びというか感動、そう、感動ですよ、あの小さな種からほんとに芽が出てくるんですもんね。僕なんか都会っ子ですから、自分で何か育てるっていう事あんまりしたことがない。ああ、トウモロコシを育てたことはあったな、あれは楽しかった。夏休みの観察日記ね。なんにしても、命が育っていくっていう事ほど楽しい事はないし、その喜びは、何て言うんでしょう、人間って、そういう成長の喜びを味わうために神から命を与えられ、種や子供を授かってるんじゃないかなと思いますよ。自分が育っていく。他者が育っていく。世界が育っていく。夢がありますよ。この先どうなるんだろうって。ツルムラサキなんてまだ3、4cmですけど、これからどんなふうに伸びるんだろうって、わくわくしながら水をやる。何かこの先、きっと素敵な事が待っているって感じられる、この思いを、神さまは人類に与えてくれているんだって思う。

 先週の日曜日に、気になる記事を読みました。「18歳の意識調査」という記事です。日本財団が日本を含む世界9か国の18歳を対象にして、各国1000人にそれぞれアンケートを取ったんですね。2019年ですからコロナが始まる前ですけど、今でも大きくは違ってないと思うんですが、その中ですごく気になったのが「将来の夢を持っていますか」っていう質問です。アジアの国、欧米の国などの9か国での調査の結果です。どうでしょう、教会で聞いたらどういう結果になるんでしょう。まあ、教会に18歳はなかなか見当たりませんけど(笑)、どう答えるんでしょう。「夢を持っている」って答が一番多かったのが、インドネシアで97%。各国もほとんど90%以上です。まあ、18歳っていったらねえ、そんな大それた野望ではなくても何かこういう事してみたいなとか、あんな事に憧れるとか、色々あるでしょうから、90%は妥当でしょう。ところが、日本の18歳は、たったの60%でした。18歳の10人に4人は、将来の夢を持っていないってことです。
 悲しいですよね。夢って、いいもんじゃないですか。悪夢じゃないんだから。野望でも妄想でもいい、自分がこうなりたい、こうありたい、成長してこんな自分になることを夢見るってね、ほんとにいいもんじゃないですか。そういえば、宇野昌磨君のコマーシャルに、「僕には夢がない」っていうのがありましたね。「あるのは目標だけだ」って、それ一緒じゃん、って思いましたけど、まあ夢でも目標でもなんでもいいから、ともかく今のままじゃなくて将来はこうありたい、いつかは自分もああなりたいっていうイメージを持つのって、人間らしさの根幹ですよね。それを18歳の4割は持ってないっていう、この日本って国。さみしい国だねえ。これ、何でですか? 私たちのせいじゃないですか? 18歳は悪くないでしょう。大人たちの作ったこの社会、この世界、この国の中で生まれ育っただけで、種は何にも悪くない。或る種を、或る時代の或る環境の中に蒔いたら、芽吹いても寒風吹きすさんでいて枯れそうです、ろくに水もやらなかったんで今にも萎れそうです、そういうことでしょう。いい環境の中に植えてあげたいってつくづく思う。これからこの世界に飛び出していくってときに、夢と希望でわくわくする人生を味わわせてあげたいって。そんな環境をつくれなかったのは、私たち大人たちなんじゃないですか。
 もう一つ気になった質問は、「自分の国は将来良くなると思いますか」っていう質問。「良くなると思う」って答えた割合は、これはやっぱり、途上国は高いですね。中国なんかは96%、インドが76%。先進国はだいぶ低くて、アメリカが30%、ドイツが21%。日本はどれくらいだと思います? 9.6%です。最低です。自分の国が将来良くなるって思ってないんです、9割の18歳が。どんな気持ちで生きていくんだろう。皆さんは割とね、経済に関しては右肩上がりで生きてきて、最近はさすがにもう無理かなってあきらめ始めている世代ですけど、今の18歳で、これからこの国は良くなるって思っているのが9%台。そもそも、「良くなる」って、経済のことだけじゃないですよね。文化や、人間関係や、幸福感のことですから、良くなるって希望する事は出来るし、良くなるように努力する事も出来るはずです。「良くなると思えない」って事は、もうあきらめたっていうことでもありますよね。そう思って人生を始める18歳、可哀想。でもそれは本人たちのせいじゃないと思うね。私たちの世代のせいじゃないですか? 次の世代をちゃんと育てよう、去っていく前によい見本を残そうっていう、次の世代への愛がないんじゃないですか?

 おとといの新聞に、別のアンケートで、高齢者の意識調査っていうのもありました。へえーと思ったのは、「家族以外で相談し合える親しい友人がいますか」っていう質問。これは内閣府の意識調査なんですけど、60歳以上の、施設に入所していない高齢者対象で、今年1月、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンでそれぞれ1000人以上の回答を得たアンケートです。さて、「家族以外の親しい友人がいますか」って、皆さんなら何て答えるんですか? 「いるかいないか」です。さすがに「互いに愛し合いなさい」っていう教会に来てる私たちですから、友達の一人もいないとまずいですよねえ。もっとも、改めて考えてみたら「あの人、友達かしら?」、(笑)とか微妙かもしれませんけど。で、この質問の結果ですが、親しい友人が「いない」って答えた人がアメリカで14%、スウェーデンは9.9%。スウェーデンあたりはそうでしょうね、幸福度が高い国ですし。90%の人は親しい友人がいる、ってことです。さて、日本はご想像のとおり一番多くって、31%でした。3割の人が、親しい友人がいない、と。これが、この国の現実です。60年も70年も生きてきてね、周囲にこんなに大勢住んでいてね、3割は親しい友人が一人もいない。いろんな事情もあるでしょうし、誰のせいっていう事でもないでしょうけど、やっぱりどこかおかしいですよね。家族がいなくなったり、関係が悪くなったら、どうすんですかね、親しい友人がいない3割の人。誰にも相談できない。これが、日本の高齢者です。
 以前の多摩教会で、短期間に孤独死した方が二人続いたことがありました。ただ、これがどちらも第一発見者が教会関係の人だったんですよ。「あれ、今日ミサに来ないな、おかしいな」みたいな感じで、訪ねてみたら亡くなっていた。もうちょっと早く気づけばってことではあるんですけど、だけどこれ、教会の友人が心配して来てくれなかったら、ひと月たってから発見された、なんて話も普通にありますからね。人間て、やっぱり親しい友人とか、何でも相談出来る仲っていうのがあって初めて生きていけるし、人としても成長していけるんですよね、何歳であろうとも。その意味では、18歳はもちろんだけど、60歳以上だってみんなで助け合って、いい環境を造って、まだまだ眠っている種を芽吹かせないと。それが教会の使命でしょう? 誰とも関わらないでただじーっと種を眠らせているだけじゃねえ。それでも生きているといえばそうかもしれないけど。

 今日の福音書を読むと、種はね、どんどん成長して、どんどん大きくなって豊かな実を結ぶ、と。その種をみんな持っているのに、それが芽吹かない状態、やっぱりこれは、罪の状態だと思う。キリスト教がいう罪ってのはそういう状態のことでしょう。だけど、ちゃんといい環境に置いてあげれば芽吹くんです。朝顔の種みたいに、やすりで擦ってあげて、一晩水に漬けて、根の出る方を下にして、ピンセットでそっと埋めてあげたら、何年もそのままだった種がたった二日でホントに芽が出てくる。あったかい温度とふかふかの土、養分たっぷり、水もたっぷりっていう環境だと、本来備わっていたのにそれまでは眠っていた力が突然あふれてきて、それはもう、次々と、わくわくと、湧いてくる。
 誰の中にも、その種があります。神さまが備えた種です。18歳の中にもあるはずだし、高齢者の中にもいっぱいあるはずだし、それが人間関係が希薄な現代社会で、若い子たちが将来に夢がないとか言い出すと、神さまもちょっとがっかりなさっているんじゃないですかねえ。「私の与えた種を、もう少しましな環境で育ててくれよ」って。実るはずなのに実らないってのが、あまりにももったいない。
 この福音書の個所に、とても好きな言葉があるんですよ。「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせる」(マルコ4・26-28)っていう、この「ひとりでに」ってのが、いいじゃないですか。ここでいう「土」が、先ほどから言ってる環境のことです。そりゃあ、石の上に蒔いたって芽は出ないし、水の中に蒔いたって芽は出ません。土に蒔かなきゃなんない。土を耕したり雑草を抜いたりと手をかけて、後はそこに種を蒔けばその環境がひとりでに、実を結ばせるんです。どうして芽が出るのかは分かんないし、分かんなくてもいい。そもそも「寝起きしてるうちに」って、寝てる間なんか何も考えてませんし。もしかしたら、蒔いたことも忘れちゃってるかもしれない。そんな事お構いなしに、良い環境さえちゃんと作っておけば、種は必ず芽吹くんです。だからまずは、種のことあれこれ言わず、その環境を作りましょうよっていうのが私の意見です。この場合、良い種か悪い種かなんて、どうでもいい。無理に伸ばそうたって伸びるもんでもない。ていねいにいい環境を作って蒔いて、あとはお任せで、その環境がひとりでに実を結ばせるんです。「ほっときゃいい」ってやつです。
 「ひとりでに」。いいことばです。他の翻訳で「人手によらず」っていうのもありますけど、つまりは人間のわざじゃないってことですね。神の働きによってこそ、僕らはどんどん成長するように出来てる。もしも成長しないなら、それは土が悪いんです。種のせいにしちゃいけない。環境が悪いんです。そのいい環境を作っていくことこそがキリストの教会の使命ですし、まさに独壇場でしょう。

 種と言えば、これもまた新聞記事ですけど、おととい気になった記事がありました。出生前診断の話です。今、子どもを妊娠すると35歳以上の妊婦は4人に1人はこの出生前診断っていうのをやってるんですね。どんどん増えてる。これ、何のためにやるのかっていったら、ぶっちゃけ言っちゃえば「悪い種」は生まれる前に殺しちゃおうって話なんですよ。だけど、良いとか悪いとかって誰が決めるんですか。怖い話だと思いますよ。それはそれぞれ事情もあるでしょうし、産む自由産まない自由って言えば聞こえもいいけれども、子供は親のものじゃない。神の子なんです。生まれる権利、殺されない権利だってあるはずです。出生前診断をして、染色体の異常とかがみつかると8割の人が中絶しちゃうとか。でも、間違いなくひとりの人間ですよね。いい環境で育てれば素晴らしい実を結ぶはずの。
 その記事では、ダウン症の子どもの話が出てたんですけど、これがみんな、幸せなんですよ。「ダウン症の子は生まれても不幸になる」っていう誤解があるけれど、その記事には厚労省の意識調査も載っていて、12歳以上でダウン症のある人800人以上ですけど、そのうち9割以上が「毎日幸せに思うことが多い」って答えてるんです。これ、一般の人の意識調査しても、絶対こんな高い数字出ないですよね。「毎日幸せだと感じてない」人の方が多いんじゃないですか。
 また、周りの目っていうのも日本人は気にするんですね。別の調査では「産むことへの周囲の反対など、外的な圧力による中絶はあり得る」って回答した人が8割以上いるっていうんですよ。怖いですねえ。周囲の人に、「その子は不幸になる、あなたも不幸になるから殺せ」って言われたら殺すかもしれないっていう人が8割。生まれ育って、「本当に生まれてきてよかった、毎日のように幸せを感じてる」っていう恵みを秘めている種じゃないですか。神のみこころはどこにあるのかって、ほんとに考えてほしい。
 それとですね、中には「生まれても短命なことがあるから」っていう人もいるそうですけど、症状の現れ方には個人差があるでしょうし、そこはもう神さまだけがご存知なんだから、お任せしなきゃいけないんじゃないですか。そもそもだれだって、自分の寿命だって分かんないんだから。それに、たとえ一緒に暮らす時間が短くっても、そこにはかけがえのない喜びと幸せがあるはずですよね。私の弟は生後3か月で亡くなりました。でもその3ヶ月は、尊い日々でした。私はもう12歳でしたから腕に抱きましたけど、その3ヶ月は神のみこころにかなった日々だったし、弟を授かった喜びを味わいました。「大きくなったら一緒に遊ぼうね」って語りかけて。確かに3ヶ月はかわいそうでしたけど、いまだに「君の分まで精一杯生きるよ」って思ってるし、あの弟は、生まれてきてよかったんですよ。「どうせ3ヶ月で死ぬから、産まないで殺しましょう」って、それはないんじゃないですか。
 「土はひとりでに実を結ばせる」。あれこれと人間の勝手な考えを持ち込まずに、素敵な土をみんなで作りましょうよ。そこにだったら、安心して種を蒔ける土。そこに蒔けばひとりでにどんどん育っていく土。「こんな素晴らしい土の中に蒔いてくれてありがとう」って、感謝してどんどん育っていく、大きな樹を想います。



2021年6月13日録音/2021年7月11日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英