福音の丘
                         

喜びのミッション

復活節第6主日
カトリック上野教会

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録10・25‐26、34‐35、44‐48)
第二朗読:使徒ヨハネの手紙(一ヨハネ4・7‐10)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ15・9-17)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 緊急事態宣言も延びちゃいましたし、関西の医療現場のひっ迫も心が痛みます。神戸の老人施設で入所者25人が亡くなって、ご遺体を収める袋が一日三体並んだとか。人口当たりの死亡者の数字が、インドやアメリカよりも大阪の方が高いという報道もあり、現場がどれほど大変な思いをしているかと思うと、キリスト者の使命なんてことも考えてしまいます。幸い、今は元気な私達ですから、何かしないではいられないという気持ちです。とりあえずは、我々もいっそう真剣に感染に気をつけるとか、身近なところで困窮している人を助けるとか、あるいは感染の予防になるような何らかのお手伝いをするとか、ただニュースを見て恐れているだけではなく、何か我々キリスト者のミッションというものがやっぱりあるはずだと、今までにもまして思いめぐらしております。
 ただですね、「ミッション」と申し上げましたが、これ、単に「使命」と取るとなんだか重苦しい印象になる気がします。本来はもっと明るいというか、キリスト者のワクワクするような特権としてイメージしたい。全ては神さまの愛から生まれて、僕らはその愛の中で愛し合ってるわけですけれども、愛し合うことって、使命とはいっても、とってもうれしい実践、みたいな感じでしょう。イエスさまはとりあえず掟という言葉を使って、「これがわたしの掟である」として「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)って言いますけど、何故そう言うかというなら、それが何にも勝る「喜び」だからなんですね。「わたしの喜びがあなたたちの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるため」なんだと。(ヨハネ15・11)
 ともかく、まずはイエスさま、すごい喜んでるんですよ。掟とはいえ、苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ奉仕するとか、そんな話じゃない。もう、やりたくてたまらないし、嬉しくてしょうがないんです。誰かを助けること、励まして安心してもらうこと、そうしてみんながお互いに仲良くなって笑顔になる、そういう現場のためなら、何かしたくなるし、何かしないではいられない。そうして、たとえささやかでも、実際にそれが出来た時の、喜び。それはほんとに大きいし、イエスさまとしては、こんなに楽しいことなんだよって知ってもらって、みんなで一緒にこの喜びを味わってほしいっていう、その熱い思いがあるんですよね。このコロナの時代、確かにとても困難な時代ではありますし、心塞ぐ事も多いんだけども、キリスト者はこんな時に、その助け合う喜びを、神からいただいた特権、任された使命として行使してまいりましょう。

 とか爽やかにしゃべってますけど、実はそれにはちょっとした訳もあって、昨日ですね、大腸内視鏡検診っていうのをしたんですよ。ご存じですよね? 大腸にカメラを入れて、モニターで目視して検査するやつです。結果としては、ポリープが一個見つかって、その場でカメラの先っぽの装置で切除して、良性のポリープだということですし、他は何事もなくきれいだったんで良かったんですけども。しかしですね、実を申しますと、「良かったんですけども」ってひと言で言うには余りあるほど、正直言って、びびってたんですよ(笑)。
 半年前の健康診断で大腸の潜血があると言われ、精密検査が必要だという診断だったんですけど、このコロナ禍に病院行くのもなんだから、収まったら行こう、収まったら行こうって言ううちに半年経っちゃったんですね。だけど実はコロナは言い訳でね、(笑)ほんと言うと怖かったんですよ、腸の中視るっていうのが。悪い病気が見つかるんじゃないか、もう手遅れになってるんじゃないかって、もう典型的な被害妄想ですね。
 そうこうするうちに、だんだんお腹が痛くなってきたんですよ。これ、今にして思えば、思い込みで痛くなるっていう心身症ですね。本当は誰だって、お腹なんて一日に何度も、ちょっとはシクシクとしたり、キュウっとなったりするじゃないですか。腸は一日中動いてんだから。だけど、それが気になりだすと、自分はきっと悪い病気で、もう末期なんだとかって思い込んで、そうするとますます気になって痛くなる。これが心身症だったって言うのには、自信があります。だって、検査を終えて何事もありませんって言われた日からは全く感じなくなりましたから。ただその渦中は、もう思い込んでますから、ますます検診に行きたくなくなるし、そのうちに、何を見ても「ああこれを見るのも最後なんだな」みたいな感じになってきて、皆さんとおしゃべりしてても、内心では「どうぞお元気で、私は先にまいります」(笑)とかつぶやいたり。何ていうんでしょう、この検診前の落ち込む気持ちってお分かりになりますか? お若い方は分からないかもしれませんが、年取って体にガタが来始めると、そうか、いよいよここまでかとか、気が弱いタイプは色んな事思うもんなんですよ。ちょっとお腹がグルグル言っただけで気が滅入るし、それでいて日曜日、説教壇では「怖れてはなりません!」とか(笑)、我ながら何言ってんだかって感じですけど。
 そんな中、これじゃいけない、ちゃんと検診に行こうって決心したのには、あるきっかけがあるんです。4月24日に、アダム神父さまの一周忌の追悼ミサをしたからです。

 アダム神父さまの事を紹介しますね。アダム神父は、アメリカのペンシルベニア州で、10人兄弟の8番目として生まれました。信仰篤い熱心なポーランド系のカトリックの家庭で育ち、高卒で陸軍に志願して、入隊後はアメリカ統治下の日本で3年間勤務しました。高卒ですから、日本に来たときはまだ10代、若いですね。アダム君は戦後の混乱期の日本で、教会経営の児童養護施設を手伝ったり、困窮している修道会に物資を運んだりしているうちに、そこで一人の従軍司祭に出会います。軍隊に所属している神父さんですけど、この司祭が素晴らしい働きをしていて、戦後の窮乏状況で日本人が色々な援助を必要としているのを、キリスト者の使命として一生懸命お世話していたんですね。実際、あのころ各国から集まってきたカトリック司祭は素晴らしい働きをしていたし、おかげで信者も一気に増え始めたころです。アダム君は、この司祭の影響を受けて、自分も困窮している日本を励ましたい、精神的にも荒廃している日本の人たちの心に希望の灯をともしたい、そのためには自分も司祭になって日本に戻ってこよう、そう決心したんです。
 彼は1949年に名誉除隊すると、アメリカに帰って故郷でメリノール神学校に入り、30歳で司祭に叙階されました。その叙階式で、希望どおり日本へのミッションが任命されたんです。嬉しかったでしょうねえ。まさに喜びのミッションです。東京で語学研修をしてからは、滋賀県、北海道の室蘭と夕張、京都や三重で司牧をし、その間におそらく彼が一番やりたかった事として、知的障がい者施設の設立や運営を実現しました。特に問題を抱えた子供達の世話や、社会的弱者のためなど、日本人のためにずいぶん尽くして下さいました。
 その後、ネパールに派遣されて、知的障がい者の教育介護に取り組み、弱い立場にある女性達の地位向上プログラムを造るなど活躍し、1983年、54歳のとき香港に配属されました。そこで彼は世界各地で弱者のための教育的プロジェクトを行うNGOを設立したんですけど、これは読み書きを学ぶためのもの、精神障がい者の介護をする人のためのもの、里親のスポンサーシップなどなどの活動をする団体です。知的障がいを持っている子どもたちが自分で歯を磨けるようにするとか、とても実践的な教育プログラムを持っていて、今もアジア各地で数多く実践されているそうです。この香港で、彼は36年間働いたんですけど、その間、香港日本人カトリック会のことも支えてくれたんですね。毎週日曜日の日本語ミサを捧げ、長年にわたって香港の日本人カトリック信者を司牧して、精神的な支えになってきました。
 私は三年前に香港で、このアダム神父さんにお会いしました。日本人カトリック会から招かれて、黙想会のお手伝いをするためにお訪ねした時にお会いしたんですけど、まあ、日本語はもちろんお上手だし、人柄がいいし、日本人会の人達みんなに慕われておりました。ちょうど初聖体の時でね、共同司式したんですけど、可愛い子供達に私も初聖体授けました。神父さん、とってもユーモアがあってね、子供達を笑わせてましたよ。日本から一緒に行った青年が侍者をしたんですけど、ミサの直前にその侍者が準備していると、アダム神父さんが怖い顔をして近づいて、「あなたは侍者ですか」って聞くんで、「はい」って答えたら、「動きを間違えたらクビです」って(笑)。からかってるんですね。ニヤッとしてね。面白い神父さんでした。
 それがですね、一昨年の年末に体調を崩してアメリカに戻って、ニューヨークのメリノール会本部の施設で療養していたんですけど、ご存じのとおりその直後からアメリカで新型コロナのパンデミックが起こり、なんと4か月後にコロナに感染してお亡くなりになったんですよ。去年の4月24日です。香港にいればよかったのに、せめて日本にでも来ればよかったのにって感じですけど、あのころのアメリカの感染状況はすごかったですからね。残念です。91歳でした。それから一年たった先月の4月24日、その命日に一周忌のミサをしようっていう事で、今は日本に戻ってきている、かつてアダム神父さんにとってもお世話になった信者達がみんな集まって追悼ミサを致しました。そのミサのときに、アダム神父さんがいつも言っていたという、こんな言葉に出会ったんです。
「いつの日か天国に行って、神さまに会ったら、私のミッションのことを報告するのが楽しみだ」

 皆さんは、天国に行って、神さまの前でどんなミッションを報告しますか。アダム神父さんは、ご自分のミッションの報告を楽しみにしていた、と。いまごろきっと、いろんなミッションについて楽しそうに報告してるんでしょうね。神さまも、よくやったねって褒めてくださってるんじゃないですか。キリスト者はみんな、ミッションをいただいています。「愛し合いなさい」っていうミッション。そのミッションの喜びが、アダム神父さんの内にあったわけでしょう。知的障がいを持ったこどもが、自分で歯を磨けるようになってうれしそうな顔をしたとき、アダム神父さんも喜んだでしょうね。そういう喜びそのものを彼は自分のミッションとして生きていたから、そう言えるわけですよ、「このミッションを神さまに報告するのが楽しみだ」って。
 さて、この私は、神さまのみ前で、どんな報告するんだろう。アダム神父さまは91年生きて、よりにもよってコロナで亡くなって、とっても残念ですし、お元気ならまだまだミッションを続けられたでしょう。それを思うと、この自分はまだ十分元気でね、道半ばのミッションもいっぱいあってね、福音の喜びをもっともっとみんなと分かち合えるわけですからねえ。キリスト者として、神さまのみ前で、たとえささやかでも自分のミッションを報告することになるんであれば、ちゃんと健康に気をつけて、もっともっとしっかり働いて、それこそ報告を楽しみにできるほどにミッションを果たさなくちゃって思わされましたよ。まだ63歳くらいでね、「あっちも弱り、こっちもガタつき」なんて言ってる場合じゃないですよね。アダム神父さんの、そんなひと言に触れて、何かが蘇ったような気がして、よし、まずは検診行こうって思えたと、そんないきさつです。
 で、行ってみたらスッキリ爽やか。これからは神父さんの分、コロナにも気をつけて、愛し合うっていうミッションの喜びを生きていかなくちゃなりません。だって、私はまだ、コロナで死んでませんから。私なんかよりアダム神父さんが生きてた方がよっぽどって、正直そう思うんだけど、神さまがこうして新しい1日を下さっている以上、愛し合うっていうミッションを喜びとして生きていかなくっちゃなーと思う。
 イエスさまは、今日、私達の事を「友と呼ぶ」って言って下さいました。「友と呼ぶ」とまで。友というか、同志というか、一緒に働く仲間ってことですよ。もう、対等な関係ですよね、友って。もちろんイエスさまは「わたしが選んだ」って何度も言ってますし、第二朗読でも言ってました、「わたしたちが神を愛したのではなく神がわたしたちを愛した」って。(cf.一ヨハネ4・10)つまり、本来的に向こうからなんですよ、ミッションは。しかし、それはたんなる押しつけではなく、喜びの分かち合いとしてのミッションなんです。我々を愛しているからこそ贈ってくださった最高の喜びとしてのミッションなんです。それを、友として、対等な仲間として、分かち合ってくれている。イエスさまから、友とまで呼ばれて、私はこの友情を裏切りたくない。イエスさまが信じて選んで下さった事に「はい」って答え続けたい。一日一日、信仰も健康も大事にしながら、このうつむき加減な時代に顔を輝かせて、愛し合うっていう喜びのミッションを生きていきたい。
 今、体調のことで不安を抱えていたり、検査や治療で色々と心配している方、ここにもおられると思いますが、このミサで、お互いに恵みを祈りあいましょう。神さまから特別な祝福を戴いて、ミッションへの希望を新たにするために。いつの日か神さまのみ前で、私のミッションはこうでしたって言える日を楽しみにできますように。


2021年5月9日録音/2021年6月14日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英