福音の丘
                         

コロナ下の教会で

主の昇天
カトリック浅草教会

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1-11)
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ4・1-13)
福音朗読:マルコによる福音(マルコ16・15-20)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 私の眼鏡が合わなくなって来てて、集会祈願で「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています」っていうところの「未来」を「本来の」って読んじゃいました。まあ、でも、「本来」でも間違いじゃないでしょう。本来、私たちは神の国を生きる美しき神の子たちなのに、それが見えなくなっちゃってる、分からなくなっちゃってるわけですから。イエスさまの内にこそ、その本来性が現れているし、それを信じて我々もイエスさまと同じように天に引き上げられる。別の言い方をするなら、「本来の私たちの姿」を取り戻すことができる。今日、昇天の祝日に、イエスのうちに私たちの未来の姿、すなわち本来の姿が示されていることにこそ、希望を置きます。

 コロナの時代になって、「いったいこの先どうなるの?」みたいに思うかもしれませんけど、キリスト者はいつでも希望を持ち続けます。未来の完成の日を信じて、ぼくらは一日、また一日と生きていく。こういう暗い日々もまた、神の国の完成に向かってるんだから、暗い現実を目を背けずにきちんと見ると同時に、その向こうに、光差す未来を見ます。神さまが用意してくださっている、未来です。一人ひとりにおいてもそうだし、この浅草教会においてもそうだし、全世界においてもそうだし、その未来を、私たちは見ます。
 「ほんとにそんな素晴らしい未来が来るの? とてもそうは見えないんだけど」って不安に思うのは当然です。でも、だからこそ、そんな私たちのためにイエスはこの地上で共に生きて救いのわざを示してくれたし、復活の栄光を現して天に昇り、「本当にそうなんだよ」と我々に示してくれている。それも、遠い天から「本当にそうだよー」とか言ってるだけじゃなくて、現実の我々といつも共に働いて、具体的なしるしを示して励ましてくれているんです。今日の福音書の、一番肝心なとこですね。「主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16・20)。この私もまた、その証びとです。「ほんとに主が働いている!」っていうしるしをいっぱい見てきましたし、今も見ておりますし、それをみなさんに証しして生きてきました。

 昨日、高幡教会の五十周年記念ミサに行ってまいりました。司教ミサですし、本当は大勢の人が来たかったんでしょうが、こういう時期なので代表者だけが集まっていました。私は二十年前に五年間主任司祭をやりましたからお招きいただいたんですけど、懐かしい人たちも大勢いて、ミサ中にいろんなことを思い出しておりました。あの日々のさまざまな救いの出来事を思い出すと、「あぁ、確かに、神さまは働いておられたなぁ」って思います。これって、起こっているそのときは分らない。十年経ち、二十年経つと見えてきたりするんです。久しぶりに高幡の聖堂に入って、走馬灯のようにいろんなことを思い出して、「ああ、あのことが今はこんなふうに実ってるな」とか、「あのときの出会いがここにつながっているな」とか思い出していました。・・・まあ、苦労することもあったけど、今にして思えばちゃんと主が共に働いていたんですね。
 聖堂に入って最初に思い出したのは、「ここでライブコンサートやったなあ」ってことです。スピーカーをセッティングして、舞台用のライトまで、これは常設で吊ってました。森の中の教会なんで音を出せましたから、若い子が大勢集まってしょっちゅうバンド演奏してたんです。まあ、準備も大変でしたし、いろんな意見もありましたけど、苦労してやってよかったって思ってます。ふと思い出したのは、東京の大学に入って長崎から出てきた一人の青年のことです。バンドでギター・ボーカルをやってくれたんですけど、普段はおとなしいのに、歌うとすごいんですよ。その歌声に感心して聞いてましたし、そんなライブをきっかけに、とても親しくなって、その後一緒に無人島キャンプに行ったりもしました。巡り巡ってその彼が、実は今年の春から上野教会で教会委員長やってるんですよ。今や上野教会になくてはならない大切な存在ですし、最近はホームレスの人たちが教会を大勢訪れているんで、今日も三人ホールに泊まってるんですけど、教会としての対応を話し合ったりするときなど、彼がいてくれてほんとに助かっているんです。昨日ちょうど、病で苦しんでいる人のための月に一度の「癒しのミサ」を捧げたんですけど、その彼が聖歌の伴奏にギターを弾いてくれたりしていて、どれだけ助かっているか。
 これも教会の使命と信じて、若い仲間を集めてがんばってライブとかやっていたあの日々、二十年後のことなんて思ってもみなかった。苦労もあったけど、あの活動があったからこそ信頼関係があり、今の日々がある。なんかこう、個々の出来事を見ていても見えないけれど、大きな目、長い目で見るならば、イエスさまがちゃんと共に働いていたってことが見えてくるし、いろんな出来事がちゃんと「それに伴うしるし」としてはっきり示されているなって気づかされるんです。

 その十年後、今度は高幡教会の隣の多摩教会に赴任して、七年間主任司祭をやりました。昨日、高幡教会に行く途中、転任してから初めて多摩教会の前を通って、これまた懐かしかった。特に、多摩教会への抜け道のとこに精神病院があるんですけど、それが一番懐かしかった。その病院に多摩教会の青年が入院してたとき、親代わりに毎日お見舞いに行こうって決心して、一日も欠かさずに通ったことを思いだしてたんです。閉鎖病棟だったんですけど、ある日その青年に「友だちができたから、会ってください」って言われて病院内で会ったんですね。これがまた、素直ないいヤツでね。彼は私を信頼してくれたし、やがて外出許可を取って教会に来るようにもなり、退院してからは入門講座に通って、洗礼も受けました。その彼ともその後無人島キャンプに行きましたし、今でも大切な友人です。まだ心の病の苦しみは続いているんだけれども、教会の仲間に助けられながら日々の苦しみを乗り越えて、なんとか生き抜いてまいりました。その彼もまた、昨日の癒しのミサに来ていたんですよ。だから、説教で彼にお話ししました。「私が多摩教会に赴任し、信者の青年が病気になったからこそ近くの精神病院で君に出会えたし、洗礼を受けることにもなり、巡り巡ってこうして福音を聞いている。今、ここに君がいること自体が、神の言葉が真実であることをはっきり示すしるしです」と。
 二十年前の教会で歌ってくれた青年と、十年前の教会で洗礼を授けた青年が、現在の教会で一緒にミサを捧げている。二人がそろってここにいる、そういうしるしって、救いの歴史の中に浮かび上がってくるんですね。そうすると、さらなる未来を思ってしまうわけですよ。今日のひと時もまた、どんな未来につながってるんだろうって。みんなバラバラになっちゃった世の中ですけど、目の前の一人ひとりとちゃんとつながっていけば、未来にはみんながもっともっと素敵につながっていくんじゃないですかね。今はまだ知らない同士でも、もっともっとつながったらいいと思うし、それを最終的にはイエスさまが引っ張って、私、「芋づる式」って呼んでるんですけど、ズルズルズルッと、全員連なって天の国にまで引っ張り上げられるんだと、私はそう言いたい。人が出会って、信じてつながることって、もうそれ自体が神の御業の目に見えるしるしなんですね。

 高幡教会と言えば、ジャン・ルボ師のことも思い出します。もう半世紀も前にケベック宣教会のメンバーとして日本に来た宣教師です。高幡教会が拠点でもあって、そこで当時「多摩ブロック」と呼ばれていた青年活動を世話してくれました。若い宣教師でね、10代の私も合宿でお世話になりました。
 彼はその後、「社会の底辺の人たちと深く交わりたい」っていう思いで山谷で奉仕活動を始め、山友会っていう奉仕団体の設立に関わって責任者となって、炊き出しをしたり、無料の相談にのったり、医療のお世話をしたりで、40年にわたって活動を続けてきました。今は体調が悪くて療養してますけど、たまたまおととい山友会にお寄りしたらちょうどジャンさんが来ていて、久しぶりに会えたんですよ。「懐かしいねえ」って、昔話もしたんですけど、だいぶ気弱になってるみたいでした。体が弱っちゃってみんなのお世話ができなくなったどころか、むしろお世話される側になってるのをもどかしく感じてるみたいで。「自分はもうなんにもできないよ。晴佐久さんはがんばってるね」ってさみしそうに言うから、「何言ってるんですか。あなたが今までしてきたことや、人を結んできたことがどれほど素晴らしいか。それは決して消えないし、むしろこれから、素晴らしい実りを生むんじゃないですか。ぼくだって、10代のころにずいぶん影響を受けたんですよ」って申し上げました。
 ジャンさんがいた頃の高幡教会に私もよく出入りしてましたけど、その後神父になってそこの主任司祭になるとは夢にも思わなかった。10代の頃からジャンさんたち先輩の誠実な奉仕活動に共感してきたのは確かですし、おととい会って改めて、こう、長い年月を通して主イエスが働いておられるっていう実感があったんですね。
 
 おととい山友会にお寄りしたのは、以前浅草教会の最寄りの路上にいたときにお世話して、今は簡易宿泊所に入っていただいている「最寄りさん」に会いに行ったからで、手づくりの肉豆腐弁当をお届けしたんです。最寄りさん、一時体調悪かったんですけど最近はだいぶ元気になられて、外に出歩くようにもなりました。で、この「浅草教会の最寄りさん」はいいんですけど、心配なのは「上野教会の最寄りさん」なんですね。この方は上野教会のすぐ裏の高速道路の下にいた方で、道路わきの車に轢かれそうなところに寝てたんですよ。もうかなりのご高齢ですし、なんとか説得して、それこそ山友会のお世話もいただいて簡易宿泊施設に入っていただいたんです。ところが、両隣の部屋の住人がうるさいって言うんですね。隣から壁を「ドンドン!」って叩かれるから、こっちも「ドンドン!」って叩き返す。反対側ともやり合って「ドンドン合戦」になったとか。(笑)で、「もう、こんなとこいられるか」って出てきちゃって、また元の路上で寝てるんです。「隣がうるさい」って言うけど、枕元を車がゴウゴウ走ってる方がよっぽどうるさいと(笑)思うんですけど。そんなこんなでおととい、上野の最寄りさんのところにも肉豆腐弁当を届けにいったんですけど、改めて「危ないところだなぁ」と思いましたよ。以前も同じところで一人亡くなってますし、もうすぐ台風シーズンですし、せっかく屋根の下に入ったのに参ったなって感じです。
 ただ、彼らは割とタフというか、つわものぞろいなんですけど、最近はコロナのせいで「にわか路上」が出てきてるんですね。上野の最寄りさんのお隣さんも、見慣れない人でした。にわか路上は、わりと若くて公園のベンチなんかに座ってるっていう人も多い。「住む所を失いました」、「食べるものがなくなりました」っていう人が増えているのは、確かです。それで、上野教会ではフードバンクの真似事を始めたところですので、食品等を分かち合いの心で持ち寄っていただければと思います。そういう、身近な人たちで気軽に始める小さな助け合い活動が、これからの世の中でとっても大切になってくるんじゃないですか。

 ご存知ですか、先週の日曜日の日本経済新聞の文化欄に、浅草教会の教会報が紹介されているんですよ。最相葉月(さいしょうはづき)さんっていうノンフィクション・ライターが、「コロナ下の教会で」と題して、このコロナ下にあって教会はどうしているのかってことを取材してまとめたものなんですけど、その中で私が去年の8月号に書いた文章を引用してくれたんですね。そこで私が書いているのは、「最寄りさん」のことと、コロナ時代には血縁を超えて助け合う福音家族の重要性が高まっているということについてです。最相さんは以前から福音家族を取材していたこともあり、「一緒ごはん」のことも書いてくれていたのでうれしかったんですけど、すごいですね、新聞の威力。昨日、高幡教会で何人もの人から「読みましたよ」「出てましたね」って言われました。
 最相さんは、コロナ下にあっても人々を救おうとしているキリスト者の様々な活動を紹介した上で、こう書いていました。「わずか1パーセントのそのまた一部かもしれないが、自らを小さくして他者のために働く彼らの姿に、2000年前のイエスとその弟子たちが重なるようだった」。これには、グッときましたね。確かに、ただ自粛して引きこもっているだけじゃなく、「リスクはあっても何とか工夫して助け合おう」とか、「私でもこんなことならできるかも」って、精一杯チャレンジしてるキリスト者がいるんですよ。そして、その姿を見て、「2000年前のイエスとその弟子たちが重なるようだった」って感じる人たちがいるんですよ。最相さんって、別にクリスチャンじゃないですし、偏らずに事実だけを書くノンフイクション・ライターです。そういう人が、コロナ下にあっても人々と関わって、誰か一人でも助けようとしているクリスチャンの姿に、イエスとその弟子たちを見てるんです。これこそ、しるしでしょう。最相さんが見たのは、しるしです。イエスは今も働いているし、その言葉が真実であることを、しるしによってはっきり示しているんです。そこさえちゃんとやってれば、みんな、「あぁ、これがキリスト教か」「これなら信頼できる。一緒にやろう」と言ってくれるんじゃないですか。感染に気を付けるのは当然ですけど、たとえ完ぺきに消毒しながら礼拝してても、礼拝堂の外の人たちと関わりがなかったら、絶海で孤立しているガラパゴス教会ですよ。
 コロナはまだまだ続きそうですけど、ほんとに困ってる人が、みなさんのすぐ隣にいます。最相さんは、私の文章の締めくくりのところを引用してくださってました。
「そうと気づけばだれの身近にも、様々な事情で孤立している『最寄りさん』が必ずいるはずです。あなたの『最寄りさん』はだれですか」



2021年5月16日録音/2021年6月20日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英