福音の丘
                         

下谷万年町物語

復活節第5主日
カトリック上野教会

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録9・26-31)
第二朗読:使徒ヨハネの手紙(一ヨハネ3・18-24)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ15・1-8)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 イエスさまが、「わたしにつながっていなさい、つながっていなさい」って繰り返し言うわけですけど、じゃあイエスにつながるって、どういうことですか。それって「この私とイエスがつながる」っていうだけのことじゃないですよね。ぶどうの木に、私という枝がたった1本つながってるなんて、変でしょう。木には他の枝もいっぱいつながっているわけで、全体が結ばれて多くの実りがあるという、そんな神の国の豊かさに憧れます。一人でイエスにつながって一人で救われる、なんてことはありえない。イエスにつながるってことは、他のすべての枝とも結ばれるってことだし、そのようなつながりの内に多くの実が結ばれる、それを神の国と呼びます。
 今、ミャンマーの軍事政権の話とか、入管で死んでいく人たちの話とか、いろんな悲しいこと、残酷なことが山のようにあって、悪い世の中だなあと思いますけど、なんでこんなことになっちゃうのかっていうと、要するにみんなバラバラだからなんですよね。もっとお互いにわかり合って、許し合って、助け合うべきだし、そのためにはもっとお互いにちゃんと近づいて、具体的につながってないとならない。イエスとつながるって、そういうことです。聖堂で一人でイエスに祈るのも大事ですけど、それ以上に大事なのは、現実にもう一人の誰かに近づいて、分かり合って、きちんとつながること。そこにこそ神の国が現れるし、そここそがイエスの体になる。
 現代社会、あまりにバラバラ。しまいに教会までバラバラになっちゃったらそれこそ救いがない。こうしてミサで大勢座っていても、実態は結構バラバラなんじゃないですか。隣に座っている人のこと、どれだけ知ってますか。昔は地域共同体とか、それなりに暖かい関係がありましたけど、いつ頃からかみんなコンクリートに囲まれてバラバラになって、お互い顔合わせてもしれっとしちゃってね。しまいに教会まで、そんな感じになっちゃいました。それはとっても寂しいことだし、お互いのことを知らなければ助け合うこともできないし、そうして寂しく生きているうちに、一人ぼっちで人生が終わるんじゃあねえ。最期の時に思うんですかね、「いったいこの人生で、誰と本当に関わったんだろう。誰とちゃんとつながっただろう」って。

 先週、再配達の郵便を本局に取りに行ったら、免許証の住所が浅草教会なんで、「上野教会の住所を口頭で言ってください」と言われたんですけど、急に言われたから間違えて「入谷1-5-9」って言っちゃったんですよ。本当は「下谷1-5-9」なんですけどね。帰り道々、「そうだよ、下谷だよ、住んでる町名を間違えちゃいけないよ、町に失礼だよ」ってつぶやいてました。たぶんそのせいだと思うんですけど、その夜、変な夢を見た。10年くらい前に渋谷で観た、演劇の夢です。カーテンコールで客席が盛り上がってて、「アンコール、アンコール」って叫んでるんですね。お芝居にアンコールなんてありませんけど、私もつられて思わず叫びそうになったところで、目が覚めた。で、そのお芝居の舞台が、ここ、下谷なんです。2012年に観た舞台で、唐十郎原作、演出は蜷川幸雄。主演は宮沢りえと藤原竜也、AAA(トリプル・エー)の西島隆弘も出てくる、めちゃめちゃ熱くて忘れられない舞台でした。再演なんですけど、初演が伝説の舞台でね、私はどうしても観たかったんです。
 時は戦後間もない頃。所は東京の下町で、八軒長屋が軒を連ねている中での人間模様です。出てくる人たちがともかく多種多様、混沌としていて猥雑で、長屋の二階には大勢の男娼が、脚本どおりに言うなら「おかまやさん」たちが住んでるんですね。彼らは夜な夜な上野のお山に出かけて行って客商売をして、昼間は寝ている。他にも浅草の芝居小屋の役者や、ミシン工場の職人たちとかが住んでいて、しょっちゅう喧嘩があり、怪しい事件も起こる。とまあ、めくるめく幻影の唐ワールドです。大体想像つきますでしょ? で、何で夢にその演劇が出てきたかというと、この舞台のタイトルが、『下谷万年町(したやまんねんまち)物語』っていうんですよ。これ、当時は架空の町だと思ってたんですけど、夢が気になったんで昔のパンフレット探し出して読んでみたら、実在の町なんですね。パンフに昔の地図まで乗っていて、現在の北上野1丁目、2丁目がかつては万年町と呼ばれていたんですって。
 この舞台、唐十郎の自伝の要素もあって、初めに劇作家役が出てきてモノローグを語るシーンがあるんです。私は待ち焦がれていた舞台だったので、気合い入れて初日に行ったら、なんとその日は唐さん自身がこの役をやったんですね。自分が実際に子どもの頃住んでいた八軒長屋の話を、唐さん自身が語るというぜいたくですけど、そのセリフがそっくりパンフに載ってました。こういうセリフです。
「上野駅と鶯谷の真ん中、山の手から見下ろせば、上野陸橋大橋の下ったところ、そこに下車坂(しもくるまざか)という都電の駅があり、そこから、浅草六区に向かって、一歩、ふみだした辺りに、下谷万年町という変てこな名前の町がありました」
 それって、まさにこの辺じゃないですか。上野陸橋大橋って、上野公園から下りて来る所ですけど、下りて来ると昭和通りに出ますよね。あそこに都電の駅があったんですね。今のローソンの前です。パンフには路線図も載ってたんですけど、見れば上野の次の駅がこの下車坂で、都電はさらにその先の今のセブンイレブンの所を左に入って、この上野教会の前を通り、言問通りに出たところが次の駅の坂本2丁目。私も子供の頃お隣の文京区に住んでましたから、都電に乗ってよく上野に遊びに来てたんですけど、いやあ懐かしいというか、なんとこの教会の前の道、都電が走ってたんですね。

 ちょっとしみじみして、その地図片手に歩いてみました。ローソンの所から上野側が北上野1丁目で北側が2丁目、合わせてそこが万年町。このあたり一帯が下谷なんで、「下谷万年町」というタイトルにしたんでしょうね。実はパンフには唐さんが住んでたところも載っていて、探したら、ローソンの裏に目立つ中華料理屋がありますよね、中華風の屋根が出ている所。そこがかつては八軒長屋で、そこに住んでいたそうです。唐さんにとってはその長屋暮らしが強烈に少年時代の記憶に残っているようで、長屋のごったがえした人間関係と濃密なドラマを、何度も脚本にしています。下町の長屋には「人情」ってものがあったし、人と人の付き合いがありましたし、唐さんの用語だと「人肌」があったんです。生きた人間と人間がつながっていた世界なんですよ。
 そのあたりには、いまでもまだ四軒長屋がいくつか残ってました。屋根は一つで、中が四軒に分かれているやつね。今は二軒を一軒で使ってるとこもあるみたいですけど、道側に引き戸の玄関が左右2つあるのは、つまりもとは別の家だったわけでしょ? 中に入ればとっても狭い急な階段があって、2階は人に貸したりしていた。裏に回れば、同じように引き戸が左右にあって、計四軒ってわけです。それが二つくっつけば、八軒長屋。昔はそんなのが軒を連ねていたわけで、騒がしかったでしょうね。もちろん、長屋ならではの問題もたくさんあったでしょう。壁一枚でうるさかったりね。でも、そこには助け合いがあり、お祭りがあり、人間が生きているぬくもりというか、生活の匂いというか、人が共に生きている、あの何とも言えない安らぎ、喜び、そういうものが確かにありました。文京区のわが家は平屋の借家でしたけど、長屋住まいの友達もいましたよ。玄関入ってすぐの階段上ってね、狭い部屋でみんなでカードゲームしたりとか。あの頃は子どもたち、親に関係なくよその家にどんどん上がってましたよね。そこでいろんな人に出会っていた。
 なんだか人間の暮らしって、もうちょっとお互い物理的に近くないとダメなんじゃないですか。今の世界は、ちょっとバラバラすぎる。ソーシャルディスタンスじゃないですけど、人と人が遠すぎるんですよ。分厚いコンクリートの壁で仕切って、そりゃ確かに静かだけど、互いに警戒しあって無関心で、結局なんにもない。傷つきたくない傷つけたくないっていうのもわかるけど、騒音は嫌だ、匂いも嫌だって清潔になって、ピカピカ、つるつるになって、汚れと一緒に幸せも消えちゃったっていう。このままどんどん、ピカピカ、つるつる、バラバラになって、ネットだけでつながってく世界になってくんですかね。あれも実は、ちっともつながっちゃいないんですけどね。どう思います? コロナ時代、「近づくな、近づくな」で、確かに近づけばリスクはあるけれど、バラバラで命守って、ちょっとくらい長生きしてもねえ。新聞の川柳に、「マンションで死んで納骨ロッカーへ」ってありましたけど、どこにもつながっていないバラバラの枝が枯れていくのを眺めているだけの現代社会なんじゃないですか。唐さんが、こんなことをパンフレットに書いてました。「かつてあった町、『万年町』が、この芝居では大手を振って暴れるが、それは過去に引き戻させようとしてるんじゃない。ここには感傷はなく、逆に現在の町々に襲いかかり、人肌とか、人とヒト、人と町の絆を強く描写して、それを鏡にしようとしている」。
 ぼくらの過去、確かに熱く生きて来たじゃないですか。いろんなことがあった。黒歴史もあるでしょう。でもともかくも、人と関わって生きてきた。その人間味というか、人の本質に秘められた熱が、それを失って冷め切った現代の町々に襲いかかってくるんです。「そんな町でいいのか」、と。確かに、熱い舞台でした。呆然としました。初日ってことで今は亡き蜷川さんも来てましたけど、ご存じのとおり熱い人でしたからねえ、すごい熱量の演出でね、藤原竜也が宮沢りえを抱えて、本水(ほんみず)の池からザバアっと顕現したときなんて、私の演劇史上最高の瞬間なんですけど。人と人のつながりの、顕現。人間が、当たり前につながって熱く生きていた時代が確かにあった。今、エネルギーがシステムに吸い取られて、人間関係がスカスカになって、何もかも「結局こんなもんか」みたいになってく、こんな世の中でいいんですかね? こんな説教、昔を懐かしむ愚痴なんですかね。こうしてスカスカのまま、神の国から遠ざかっていくしかないんですか。人と人が暖かくつながっている世界を取り戻すことなんて、もはや願ってもかなわないんですか。

 「望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ15・7b)ってイエスさま言ってますけど、それは、愛を動機としているからですね。そのことを、第二朗読ではこう言っていました。「神に願うことは、何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストがわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです」。(ヨハネの手紙一3・22-23)そういうことですね。「そこに愛は、あるんか」と迫るコマーシャルがありましたけど、愛さえあれば、神はどんな願いでも適えてくださるんです。愛さえあれば、神の国は実現できるってことですよ。私は、もっといい世の中を願います。人間がもっと近くにいてもっとつながっている世の中を願いますけど、愛さえあればそれは適えられるって言ってるんです。愛は行いに直結しますからね。第二朗読の冒頭では、「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」(ヨハネの手紙一3・18)って、そう言ってますでしょう。イエスはまさにその愛を行いましたし、そのイエスにつながっていれば、願うことは何でもかなえられるんです。イエスの言うつながりは、そういうつながりです。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(ヨハネ15・7)

 イエスさまがお始めになったキリストの教会って、もっともっと、人と人が近い、誰とでもつながれる現場なんじゃないですか。昨日、福岡の東八幡キリスト教会の牧師の奥田先生と、ネットで二度目の対談をしました。これは日本バプテスト教会のホームレス委員会に頼まれもので、なんで私なんかが引っ張りだされるのか知りませんけれども、そこで奥田先生が怒ってたんですよ。というのはね、ホームレスの人って、なんらかの事情があって住む所を失い、路上に出て行かざるを得なくなったわけですね。ただ、いきなり路上っていうのは少数派で、まずは誰かを頼ってるんです。その、「住む所を失ったまさに最初の夜、どこに泊まりましたか」という質問のアンケートがあるんですよ。それこそ「ネットカフェ」とか、「行政の保護施設」とか、色々な項目があって、それぞれ何%とかって数字が出てるんですね。一番多いのはどこかわかります? 最初に泊まった所。最も多いのは「友人宅」で、39%なんですって。なるほど、分かる気はします。まずは友達の所に泊まる、と。それはいいんですけど、問題はその項目に「寺社・教会」っていうのもあって、これ、何%だと思います? 泊まる所がない、寝るところがない、そんな最初の夜にお寺や教会を頼った人。答えは、0%。その数字に、奥田先生は怒ってました。「日本にこんだけ寺があって、こんだけ教会があるのに、だれも寺や教会に行かない。なぜか。行ったって、泊めてくれっこないって、みんな思ってるからですよ。これでいいんですか、これで」と、語気を荒げてました。いやあ、ショックですよね。0%って。なんか、たとえ世の中は冷たくても、せめて教会くらいは頼ることのできる暖かいとこであってほしいじゃないですか。たとえ世の中が、つるつる、ピカピカ、バラバラになってても、教会だけはつながりのある、いたわりのある、優しさのある、希望の現場であってほしいなあと思うんですけどねえ。もっとも、本当に困った人が頼ることも出来ないところを「教会」と呼んでいいかっていう問題もありますけどね。ちなみに、行く当てもなく私のところに転がり込んできた若者っていっぱいいますけど、しばらくいるうちに仲良くなっちゃうんで、恐らく彼らがそのアンケートに答えるとしたら、「友人宅」って書くんじゃないかな。だけど、それこそが教会ってことじゃないですか。
 「下谷万年町物語」の時代って、終戦直後ですから、ちょうどこの教会ができた頃ですよ。たぶんそのころに同じアンケートとったら、寺社・教会って、ちゃんと何%かあったと思いますよ。そもそもこの上野教会なんかね、上野駅の通路で暮らしていた戦災孤児たちを保護するために、宣教師がこの地に施設を造り、一人また一人と連れてきたところから始まった教会ですからね。
 なんだか、教会もバラバラになっちゃって、このまま枯れていくんですかね。「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる」(ヨハネ15・6)って。あきらめずに、神の国の喜びを願いましょう。人と人がちゃんとつながって、共に生きる喜びを感じられる世の中を願いましょう。イエスさまにつながって願えば、かなえられるそうですよ。


2021年5月2日録音/2021年6月10日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英