四旬節第3主日
カトリック上野教会
第一朗読:出エジプト記(出エジプト20・1-17、または20・1-3、7-8、12-17)
第二朗読:使徒ペトロの手紙(一ペトロ3・18-22)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ2・13-25)
ー 晴佐久神父様 説教 ー
『イエスは、何が人間の心の中にあるかよく知っておられた』(ヨハネ2・25)と読まれると、どきっとしませんか。イエスはみんな知っています。一人一人の心の中の思いを。もちろん、その痛み、その苦しさ、迷いなんかも理解してくださっているでしょうが、そこは知られたくないという狡さとか、自分さえよければという身勝手とか、そういうところもイエス様は、ちゃんと見ておられます。だから、四旬節は、そんな自分の胸に手を当てて、正直になって、なかなか変われないという現実の中でも、もう少し上手にやろうとか、もう少し譲ろうとか、チャレンジする機会です。
ちょっと今朝見た夢の話、させてください。私、病気で五反田の病院に行かなきゃならないんですよ。山手線に乗ってたら駅について、「大崎、大崎」って言うんですね。私、内回りに乗っているつもりだったんで、あ、五反田過ぎちゃったと思って、慌てて飛び降りて向かいの電車に飛び乗ったんです。でも実は乗ってたのは外回りだったんで、「次は品川、品川」って言うのを聞いてようやく、勘違いしてたって気が付いた。しょうがないんで品川で降りて、また向かいの電車に乗った。ところが、「次は大崎」というはずなのに、聞いたこともない駅名を言うんですよ。どうやら品川から別の線に乗っちゃったらしい。しかもこれが、快速だかなんだかで全然止まらない。ようやく止まったから降りて戻ろうとしたら、なんとこれが一方通行の電車なんです。そんなこと現実にはありえませんけど、まあ夢ですから、ともかくうまくいかない。駅を出たら閑散とした街でね。仕方なくタクシーで戻ろうと思って待っていても、タクシーが全然来ない。こういう不条理な夢、ときどき見るんですけど、なんだかすべてうまくいかないときの、あの焦りと言うか、絶望感と言うか、おわかりいただけるでしょうか。
すごく不安な気持ちで立っていると、ふと後ろから、「晴佐久神父様ですよね。」と声がかかって、振り向いたらシスターが一人立っているんですね。御高齢のお母さまをお連れしていて、私にこう言うんです。
「今、母の治療のために、病院にタクシーで向かうところなんです。実は、母の介護のことで疲れ果てていて、しかも、介護のためにシスターを辞めなければならなくなりました。それが辛くて、今朝からずっと暗い気持ちでいたんですけど、目の前に神父様がおられたんで、すごく救われた気持ちがして、嬉しいです」
それで、「じゃあ、ここでお二人のためにお祈りをして、祝福いたしましょう」と言って、その場でお祈りをしたんですね、「父と子と聖霊の祝福がありますように」って、十字を切って。すると、そのお二人の後ろにもう一人見知らぬ女性が立っていて、一緒に十字を切ってるんですよ。誰だろうと思ったら、こう言うんです。
「実は、私も信者です。目の前でみなさんがお祈りしてるんで、私もその祝福を頂きたいと思って、お祈りしました。私もこれからその病院に行くところなんですけど、実は今、主人がとても危ない状態なんです。主人も信者なんですが、神父様、ぜひ来てお祈りしていただけないでしょうか。主人がどんなに喜ぶか」
私は五反田の病院に行かなきゃならないんで、一瞬迷いましたけど、ここで出会ったのも神さまのご縁だし、ご主人は危ない状況だというしで、「わかりました、行きましょう。どうせなら、この4人で1台のタクシーに乗ってまいりましょう」とお返事するという、夢はそこまでです。
すごいですね、さすがは神父様、こんな聖なる夢を見ているんですよ(笑)。申し上げたいのは、一瞬迷った時のあの気持ち。あそこに神の国の秘密が隠されてるってことです。この分かれ道がね、一日何度もあるじゃないですか。こっち行ったらいいことあるのにどうしても行けない、とか、こっち行くのはやっぱり自分勝手だから、我慢しよう、とか。この、一瞬の0.5秒くらい迷う分かれ道です。その瞬間に、「イエス様は私の心の内を良く知っておられるんだから」って、「やっぱりこれは神のみ心なんだから」って決断する、その瞬間が、四旬節ってことじゃないでしょうか。四旬節って、大改心して聖人になりますってことじゃない。どうしようかな、行くべきかな、でも面倒くさいし、今忙しいし、あとにしようかなというような、その一瞬の決心のことです。その0.5秒の小さな勝負、そういうのが四旬節だと思う。悪い夢見てるみたいに、ともかく何もかもうまくいかないこともありますけど、そんなときこそが、神の国の入り口なんですね。不安な時こそ、ちょっと譲って、ちょっとチャレンジして、ちょっと優しくして。
教皇様が今イラクを訪問なさっていて、明日ローマにお帰りになります。ぜひお元気で、何事もなくお帰りになっていただきたいと心から祈ります。84歳でしたか、そうは言ってもお年ですよ。肺も正常に機能してないんですよね。にもかかわらずこのコロナの時期に、しかもイラクに行ってくださいました。イラクにもカトリック信者がいるんですね、だいたい日本と同じくらい。一昨年は日本にも来てくださいました。ちなみに日本訪問が最後だったんじゃないですか。その直後コロナになって、どこも行けなくなりました。このたび訪問を再開するにあたって、イラクにどうしても行くんだと。イラクは、ヨハネ・パウロ二世教皇様も計画してたんですけど、フセイン大統領が邪魔して、結局行けなかったんですよね。なのでローマ教皇初訪問です、イラクは。教皇様、どうしても行きたかったんです。
とはいえ、いまだにテロが続いていますでしょ。教皇が出発する直前にも大きなテロがあって、50人くらい死んでるんですよ。なので、「こんな時になぜイラクに行くんですか。」という記者の質問に、教皇フランシスコは答えました。「私は、苦しむ人たちの司祭だから」。そう言ったんですよ。「私は、苦しむ人がいるところに行く、たとえそのために自分が死ぬことになってもかまわない」、本気でそう思っているんですよ、教皇様は。
以前にもそういうようなことを言ったことがあるんです。彼が教皇になったとき、それまでの防弾ガラスの車でなく、普通に手を伸ばせばみんなと握手できる、通称「パパモービル」で謁見会場を回り始めたんですね。ヨハネパウロ二世教皇が狙撃されて以来、教皇は防弾ガラスの中にいたんですけど、それじゃ握手もできないじゃないですか。だからと言って、オープンカーはとても危険です。でも、彼は言いました。「私はもう、何も失うものはありませんから」と、そう仰った。
「私はもう何も失うものはありません」と教皇に言われちゃうと、考えさせられちゃいますよね。「じゃあ僕らは、何か失うものはあるんだろうか」と。実は、ないんですよ。神の愛のうちに生まれて、神から恵みをいただいて生きて、神の御前にこの私として存在していれば、これ以上、何もいらないはずなんですよ。いつだって我々は、もっとあれがほしい、もっと集めよう、もっとああしたい、もっとこうなりたい、もっと、もっと、という気持ちで生きてますけど、福音のまなざしでよくよく見るならば、もう十分なはずですし、失うものも何もない。病気が怖い、健康を失いたくないって言ったって、そもそもこの世に存在しなければ、病気にもならないわけですからね。私がここにいるというだけで、十分なんです。それが、教皇様の信仰。彼の、神への絶対的な信仰。これは、模範だと思う。
テロリストのいる国で、パパ様は今日これから、主日のミサを行います。現地のカトリック信者たちは、本当に嬉しいでしょう。僕らだって、嬉しかったのを思い出します。ただ、僕らは以前にヨハネ・パウロ二世教皇もお迎えしてますし、幸いテロが続いている国でもないし、キリスト教ということで特に迫害もされているわけでもない。だけど、イラクの、イスラム教徒の中で暮らしているカトリック信者がどれほど苦しんでいるか。イラクのカトリック教会が爆破されて、信者が何十人も亡くなったこともありました。そこに訪ねていくんです。苦難の地で信仰を守っていくことの大変さ。その地で信仰に出会い、その地で信仰を守っている彼等にとって、ローマ教皇として初めて、教皇フランシスコがコロナの時代に来てくれるということが、どれほど嬉しいことか、想像つきます。教皇様、昨日、仰っていました。「自分がここに来るのは、象徴的な意味がある。この国は古くから本当に苦難の歴史を抱えてきたからだ。私がここを訪ねるのは、務めだ」。そう仰っていました。
でもね、苦しみの現場に遣わされるということ、これは教皇に限らず、全キリスト者が分かち持つべき使命ですよ。私たちはたまたま日本で生まれ、日本にいて、今この聖堂に座っているのも、たまたま座っていると思ってしまうかもしれませんけど、実は自分が選んでいるようでも、やっぱり神が選んでいるんですね。神がその人を生み、そこにその人を遣わして、そこで生かしているんです。だれだって、どこだって、そこで生まれ、そこで育ち、そこに座っていることには、意味があるんです。だって身の回りを見回せば、この世界は無数の苦難に満ちているわけで、その現場に私が遣わされているってことだから。「これは象徴的意味があり、務めである」というあの教皇の感覚は、カトリック信者のあるべき姿なんだろうなと思う。
昨日はウルで、諸宗教の人たちとのミーティングもしましたよね。あれも美しい光景だと思いました。いろんな宗教の人たちと、ウルで一つに交わる。ウルってアブラハムの故郷です。今のイラクだったんですね。そのウルからアブラハムは出発するわけだけれども、血を流す争いをしてきたユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、このアブラハムから始まっているわけですから、ウルは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共通の故郷なんですよ。そこに教皇フランシスコが行って、諸宗教の代表者たちも集まって、平和について語り合う。クルド人の代表も来ていました。クルド人も非常に苦しめられてきた民族ですけれど、その少数派の宗教の代表者もお招きして、一つに交わりました。今日のミサでは「許しの奉献文」っていうのを使いますけれども、四旬節に、許し合って、一致して、自分を削って互いに受け入れ合う、そんな象徴的なミサをこうして捧げていると思ってください。
昨日、四旬節にふさわしい、象徴的なミサをいたしました。追悼ミサなんですけど、追悼といっても実質、葬儀ミサです。ひと月ほど前に、一本の電話が来て、「今、うちの主人が亡くなりました」って言うんです。で、「私は信者だけれども、ほとんど教会に行っていません。でも夫に洗礼を受けてほしいと思っていたし、夫も受けてもいいよと、一度ミサに出たいと言っていたのに、急に亡くなってしまった、洗礼はもう無理でしょうか」って言うんですね。病室からの電話です。「それはもう無理ですね」と言うのは簡単ですけど、その方の思いを考えれば、なんとかしてあげたいと思って、ご奉仕することにいたしました。「だいじょうぶですよ、ご主人の名前を呼んで、額に水をかけながら『私は、父と子と聖霊の御名によって、あなたに洗礼を授けます』って言ってください、それは立派な洗礼になりますよ。そうすれば教会で葬儀ミサもできますよ」と、申し上げました。
確かに、医者は死亡宣告したのでしょうけど、人の死は、究極的には神のみ手の内にある神秘ですから、何時何分、決められるようなものではありません。私の弟も、私が12歳の時に生後3か月で亡くなってるんですけど、母が病気だったので預けられていた乳児院で突然死したんですね。駆け付けたときはまだ暖かくて、まだ洗礼授けてなかったので、父が電話したら塚本金明神父が飛んできてね、「まだ生きてるんだよ」とか言いながら洗礼を授けてくれました。後々神学生になってから、どの時点まで洗礼を授けられるのか調べてみたけど、よく分らなかった。たとえ医者はもう死んでいると言い、警察は死んだと判断しても、塚本神父的にはまだ生きているって、洗礼を授けてくれたんです。そんな体験もあるんで、第一、医者が亡くなったと言っても臨死体験で戻ってきた人もいるわけですし、人間にはきっちり線は引けないということですね。
その方は、教えられたとおりにして、御主人は立派なカトリック信者になりました。ただ、それからひと月、あまりにも急な死だったということもあり、なかなか現実を受け入れられずにいたようで、ご葬儀もしないままにきてたんですね。確かに葬儀をしちゃうと、亡くなった事実と向かい合わなければなりませんから。お骨も、このままにしておきたい、でもそういうわけにもいかない、どうしましょうかと相談にいらしたので、「あなたもご主人も立派なカトリック信者ですし、やっぱりちゃんとミサしましょう」と申し上げ、それで昨日、お骨を前に、実質葬儀ミサという追悼ミサを、近しい方たちに集まっていただいて、お捧げしました。そのとき、お話ししました。「これは、ご主人と新しい関係に入る節目のミサですよ」、と。「御主人は死んだんじゃない、生まれたんだ、お二人はこれからいっそう深い交わりに入るんだ」と。奥様はとても安心なさっていました。
キリスト者って、この困難な世界に遣わされているんですね。苦しんでいる人を助けるために、神様の愛の御業に、どんなささやかでも、ちょっと奉仕するように遣わされている。病気で苦しんでいる人多いし、困っている人、救いを求めている人はいっぱいいるし、みんな福音を求めているし、そんな世界に遣わされているんです。迷いを超えて、わが身を削って、一瞬の勝負をするキリスト者が必要です。
四旬節はね、そういう意味でもちょっと負荷かけて、奉仕の瞬発力を強めましょう。普段5キロのバーベルだったら、7キロにするみたいな負荷をかけて、0.5秒の決心です。教皇様と共に、苦しむ人々のための司祭になりましょう。キリスト者はみんなある意味司祭ですからね。キリストの祭司職というのを、洗礼受けた人はみんなもっている。神からこの世界に遣わされた者として、出発いたします。
2021年3月7日録音/2021年4月14日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英