福音の丘
                         

わかるよ

四旬節第4主日
カトリック上野教会

第一朗読:歴代誌(歴代誌下36・14-16、19-23)
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ2・4-10)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ3・14-21)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 あの3・11から、10年経ちました。あの日からやっぱり、日本は大きく変わりました。このコロナ時代も、社会は大きく変わっていくんでしょう。だけど、この私自身はこの10年、どう変わってきたんでしょうか。皆さん一人ひとりはどう変わっていくんでしょう。私たち一人ひとりにとっての、10周年です。
 今年の3・11の日は、朝の折込チラシに松坂屋で福島の魚を売るって書いてあったんで、少しでも役に立てればと、福島の魚を買ってきました。大したことはできなくても、何かしてあげたいっていうのは、これ、でも大事な気持ちだと思いますよ。少しでも苦しんでる人の事を知って、少しでも近づこうかなと思うこと、小さなことでもそれが全ての出発点のような気がする。実際にはどれだけ役に立つのかはともかく、その気持ちだけは忘れないようにしたいと思う。
 3・11の直後を思い出します。何か手伝いに行きたいけど、行っても邪魔になるだけかもしれない、そんな気持ちでした。だけど、実際にいち早くボランティアに行った青年に聞いたら、みんな喜びます、ぜひ一日でも来てくださいって言われて、塩釜のカトリック教会のボランティアベースに恐る恐る出かけて行きました。でも、行って現実を知ると、見ると聞くとじゃ大違いでした。大した事はできないし、神父なんかがうろうろすると迷惑なんじゃないかっていう気持ちもあったけど、現場は本当に、ただもう来てくれるだけでうれしい、励まされるって言うほどに孤立してました。「行くのが愛」ってことに気づかされましたし、思い切って飛び込んで行って良かったと思う。以降、被災地に通うことになったわけですが、ある人が言ってました。教区から派遣されてくる神父はいるし、ボランティアを連れてやってくる神父もいるけれども、個人的に一人でふらっと来た神父はいない(笑)。それに、一度は来ても、二度三度っていうことも少ない。ともかく来てくれるだけで嬉しいし、力になるって。
 そうして行けば行ったで、酷い現場を見るわけですよ。それはやっぱりテレビで見る映像と全然違うんです。10周年の今週も、テレビでたくさん津波の映像見せられました。見るとつらいし、この水の下で何が起こっていたかを想像もしますけど、やっぱりテレビじゃわからないこともいっぱいあるんです。直接行かないと、現場が何を求めてるかもわからない。結局、それから何年にもわたって、被災地に毎月のようにでかけました。塩釜、気仙沼、大船渡、南三陸、釜石、大槌、宮古。行くだけですよ、ただ行くだけ。避難所でお話を聴いたり、仮設住宅の集会室で小さな講演をしたり、喫茶スペースでお話したりもしますけど、結局はただ行くだけって感じでした。ミサを捧げてみなさんを励ましたりもしましたけど、ともかく行くだけでもみんな喜んでくれるし、だんだん顔馴染みも生まれるしね。熱心な信者さんが、私が盛岡で新幹線降りると駅前で車で待っていて、そのまま宮古のベースまで連れて行ってくれるっていうのも何度もありました。ありがたかったです。聖堂で雑魚寝したこともある。お御堂に布団が敷き詰められていて、スタッフが「神父さまは、こちらです」って、どこに案内されるのかと思ったら、祭壇脇の聖櫃の前だった(笑)。赤く光る聖体ランプの下で寝たもんです。まあ、よく通いました。行くだけですけどね。ただ行くだけ。
 一番通ったのは、釜石です。何度行ったか。ベース長がいつも言うんですよ、「来てくれるだけで嬉しい。時間が経つと、だんだんみんな来なくなる。忘れずに来てくれるのがほんとに力になる」、そう言って涙ぐんだりする。そうすると、ハイ今日までねって(笑)、言えないじゃないですか。
 結局ね、みんなが一番求めていたのは、人と人のつながりなんですよ。映像に映っているのはただのがれきの山です。それはもちろん、ほんとに悲劇ですけれども、被災者たちにとって何が悲しいって、まあ家を失ったのもあるし、ふるさとを失ったっていうのもあるでしょうし、仕事を失った、大事なアルバムを失ったと、すべて悲しいんですけど、やっぱり一番つらいのは、大切な人を失ったり、バラバラになっちゃって人間関係を失ったっていうのが、何よりもつらいし孤独だし、そこに苦しんでるんですよ。大切な人を亡くしてつらいっていうのは、それはこの我々だって一緒ですけど、だけど我々だったら、そういう気持ちを分かってくれる仲間たちが周りに大勢いたりするじゃないですか。被災者たちは、それも含めてみんな失っちゃった人たちで、中々つらい気持ちを出せないし、安心して語れる人、わかってくれる人が周りにいなくて、とっても孤立してるんです。だから、だれかがそこに寄りそう必要がある。そうして人間関係を取り戻して、一人ぼっちじゃない、ちゃんと仲間がいるって思えるようになれば、少しずつでも乗り越えていけるわけですよね。
 私は、被災地でつらい思いを聞くだけでしたけれども、結局人を救うのは「あなたの気持ちがわかるよ」っていう共感でしょう。全ては分からなくても、それを分かりたくて来てるんだし、相手に近づいて、「わかるよ」っていう、そこに癒しがある。簡単に「わかるよ」なんて言えませんし、「お前に何がわかる」って言われれば何も言えません。それでも、遠くまで時間をかけて行けば、向こうも、「ああ、会いに来てくれたんだ、この苦しみにつながろうと思って来てくれてるんだ、信頼して一緒にお茶を飲もうかな」って思ってくれる。うまいこと言えないし、一緒に小さなお祈りをしたりするくらいで、本当に何にもできないんだけど、「あなたの気持ちわかりますよ、もっとわかりたいですよ」っていう、その思いさえあれば人と人はつながるし、少しずつ癒されてくるんだと思う。
 昨日かな、テレビでやってましたけど、現地の人たちが10周年っていうんで、被災地の公民館の跡地に集まってました。当時そこに大勢避難していたので、津波で大勢亡くなった所です。今はもう更地になってるんだけど、そこに石碑を建てたので、離れ離れになった住民たちが集まったんですね。地元のお祭りの舞いを舞ったりして、「あー、久しぶり!」なんて盛り上がってました。その集いは本当に強い絆で結ばれていて、それは何と言っても、同じ苦しみを共有しているからなんですね。みんな、私は夫を亡くしました、私は子供亡くしました、私は親亡くしましたっていう人たち同士なんで、言うなれば、「わかるよ」っていう人たち同士なんですよね。そういう「わかるよ」こそは、つらい中にあって大きな癒しだし、希望だなって思う。
 それを思うと、都会で親しい人を亡くすっていうのも、別の意味でつらいかもって、ふっと思うんですよ。被災地と違って共同体が消滅しているし、周りは忙しいし、幸せモードだしで、だれも「わかるよ」って言ってくれなさそうじゃないですか。むしろ、他人に気を使わせたり、「わかるよ」なんて言わせちゃ悪い、みたいな。もしかしたら、都会で親しい人を亡くす方がつらいかもしれませんね。どんな悲劇的な別れの苦しみがあっても、その後「わかるよ」って言ってくれる人たちが周りにいるかいないかは、大きな違いです。どうなんですかね、皆さん。愛する人を亡くした喪失感とか、もっとああしてあげればよかった、こうするべきだったのにできなかった、そんな自責の念を、「わかるよ」って言って分かち合ってくれる人が身の回りにいるんですかね。都会って、がれきの山こそありませんけど、目には見えない被災地なんじゃないですか。コロナ時代、ますますそんな感じになってきていますし、そんな中で教会は、「わかるよ」ってね近づいていく使命があるんじゃないですか。

 福音書を先ほど読みました。ヨハネの福音書ですね。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。(ヨハネ3・16)
 聞き慣れた一節ですけど、よく考えてみたらこれ、天の父にしてみれば最愛の息子を殺されたっていう話ですよね。天の父もわが子を愛するし、わが子を失う痛みを体験しているってことです。だからこそ、全ての苦しんでいる人に、神は言うことが出来るんです。「わかるよ」って。キリスト教は、そこが有難い。抽象的な、クールな神じゃない。我々の現実、あまりにも人間的で、誰も分かってくれないような辛い思いを、誰よりもよくわかってくれる、あったかい神。それこそ、訪ねてきた神父とか、同じ苦しみを感じている人とかに「わかるよ」って言ってもらうのもうれしいでしょうけれども、神から「わかるよ」って言ってもらえることで、どれほど救われるか。
 イエス・キリストがこの世に生まれた意味って、神が神の子たちに、その「わかるよ」を直接言うためであって、つまり、ほんとうに「わかるよ」って言うために、私たちと同じ苦しみを苦しんでくれたってとこにあります。そのために、苦しんでる我々に向こうから近づいて来たんですね。「独り子をお与えになった」っていうとおり、向こうからやって来たわけですよ。悲劇的なこの地球上で苦しんでる人たちのすぐ隣に来て、「あなたの苦しみがわかるよ」と言ってくれる。そこに救いが生まれるし、永遠の命っていうのはそこが出発点なんですね。
 「独り子を信じる者」っていうのは、そのような神さまの愛、神さまの「わかるよ」っていうその熱いみ心を信じることですし、それを信じるならば、滅びへの恐れから解放されるんです。なにしろ、神が「わかるよ」って言ってくれるならもう何も怖いものがなくなるわけで、「一人も滅びないで」永遠の命を生きる者となる。「一人も」なんだから、全員ってことです。それを信じられなければそこには恐れる私がいるだけで、それこそが死の世界。「人々は光よりも闇の方を好んだ」(ヨハネ3・19)ってありますけど、私たちにもたらされたこのキリストという光をですね、僕らはもっと信じて、光の方に進んでまいりましょう。

 私の親しい牧師先生が、昨日送られてきた「福音宣教」っていう雑誌に入管に関する文章書いています。よく上野教会にも来られて一緒ごはんをしている、尊敬する牧師先生です。原稿読んで、心動かされました。以前彼は、牛久の教会を担当していたんですけど、牛久と言えば入国管理センターがあるところですね。在留資格をもたない人をひとくくりに「不法滞在者」として収容するところです。彼は、入管を訪ねて収容されている人との面会をして、様々な人たちがひどい扱いを受けていて、ほんとに苦しんでいる実態を知ったわけです。私は刑務所に通ってますからわかりますけど、刑務所よりもはるかに劣悪なんですよ。刑務所は犯罪者を収容する場所ですけど、入管の場合はもはや人間扱いをしていないところもあって、むしろ収容する方が犯罪だと言っていいくらい劣悪な環境です。
 なので、これは余りにも可哀想だっていうことで、彼が保証人になって仮放免を申請し、収容所から解放する活動を始めて、一人又一人と延べ200人以上救い出してるんですよ。解放された人は、どれだけ感謝していることか。だれか近づいて行かないと、そして「わかるよ」って言ってあげないと、まさに孤立の闇でしょう。最後はその「わかるよ」だけが光になるわけですから。一人ぼっち、そこは闇の世界です。しかしイエスさまの現場では、みんながつながっていて、「わかるよ」っていう光が輝いています。教皇フランシスコが「出かけていきなさい」ってくり返し言うのも、出かけて、出会って、「わかるよ」って言うためなんですよね。
 今、上野教会では、スリランカから政治的な理由で日本に逃れてきたラリットさんをお預かりしています。ちなみに、帰国したら殺されるような所に強制送還したりするんですよ、日本の入管て。それって、殺人じゃないですか。「未必の故意」っていうやつです。ラリットさんには、無事に故国に帰れるまで、何とか生き延びていただきたい。私ももう、1年以上一緒に暮らしてるんで、信頼関係も深まりました。そんなこともあって、先日の事件に心痛めています。名古屋の入管で、30代の、ラリットさんと同じスリランカ人の女性が死亡したんですよ。
 彼女は大学を出た後、日本で英語教師になる夢を持って4年前に来日し、日本語学校に通っていました。ところが、おそらくはコロナのせいか、経済的に困窮して学校に通えなくなりスリランカにも帰れなくなり、ビザが切れて不法滞在になってしまったために名古屋の入管に収容されちゃった。それが、去年の8月です。本人はショックでしたでしょうし、ストレスもあって身体の調子を崩し、食事が食べられなくなりました。支援団体に「ほんとうにいま、たべたいです」という手紙が来て、メンバーが面会に行くと、嘔吐してしまうのでポリバケツ抱えて出て来たそうです。点滴打ってくれと言っても聞き入れられず、治療も受けられず、どんどん衰弱して20kg痩せたと。20kgですよ。ついに倒れて、衰弱死しました。最後に面会した時のことばは、「ここから出してほしい」だったと。どうお思いになりますか。つい先週のニュースです。死んでるんですよ。見殺しですよ。これ、いいんですかね。私たちの中に、ほんのかけらでも「わかるよ」っていう気持ちがあれば、なんとかなったんじゃないですか。
 「わかるよ」さえあれば、もっとこうしてあげようとか、いくらなんでもほっとけないよねとかいうことにもなるでしょうし、相手にもう少し近づいたり、ほんのちょっとでも自分の分を譲ったり、ちょっとだけでも受け入れたりと、何かが変わっていくんじゃないですか。
 わたしたちのことを分かりたくて近づいてきてくれたイエスさまは、「神の国のために一緒に働こうじゃないか」って、私たちを招いていると思いますよ。復活祭の光に向かって歩んでまいりましょう。四旬節は自分の中の闇を見つめ、光に向かって歩みだす時です。



2021年3月14日録音/2021年4月30日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英