福音の丘
                         

わが子だろ!

主の洗礼
カトリック上野教会

第一朗読:イザヤの預言(イザヤ55・1-11)
第二朗読:使徒ヨハネの手紙(一ヨハネ5・1-9)
福音朗読:マルコによる福音(マルコ1・7-11)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 先週、箱根駅伝の話をしたのを覚えてますでしょうか。往路は青学がまさかの12位、創価大がまさかの往路優勝で、復路はこの後どうなるのか、気が気じゃないみたいな話をしましたけれども、ミサ後見ていたら、往路にも勝るまさかまさかで、本当に面白かった。青学が7人抜きで復路優勝しましたし、まさか逆転はないだろうと思ってたら、駒大がラストの10区で大逆転。3分以上開いているのに最終10区で逆転っていうのは89年ぶりなんだそうで、これだから駅伝は面白い。来年もまた1月の2日と3日、見ちゃうでしょうね。
 駒大の大八木監督には、感心しました。あの人、選手たちの事を「子供たち」っていうんですよ。だからもう、あれ、家族なんですね。わが子同然っていう。青学同様全員寮生活で、監督の奥さまがご飯作ってるんですね。だからほんとに家族同然だし、夫婦で子供たちの体調をみたり、性格をみたりする。その奥さまも選手を「子供たち」っていうんですよ。選手にしてみたら親父とおふくろがしっかり見守ってくれているっていう安心感もあって、そういうのも成績に大きく影響するんだと思いますよ。
 その親父が、選手の後ろの車から檄を飛ばすわけですね、有名な「男だろ!」ってやつです。まあ、ジェンダーについて敏感な今の時代に「男だろ」っていうのもちょっと苦しいかなって(笑)感じたりもしますけど、言うなれば親父が「ウチの息子」に檄を飛ばしてるわけです。選手たちも、「親父の檄でスイッチが入る」って言うんですね。確かにあの檄は、見てる方まで力が入っちゃうくらいですから、息子たちにしてみれば、「いいよいいよいいよ、いける、いける!」とかって励まされると、その気になっちゃうんですね、あれ。体力ぎりぎりのところで走っているときに、もうあと一歩先へ、もうあと1秒速く、なんていうのは、自分の力だけじゃもう無理でしょう。秘められた力がどこかに残っていても、自分ではもうそれを出せないって時に、檄飛ばされてスイッチが入る。「やる気スイッチ」とかっていう学習塾のコマーシャルがありますけど、子供たちの内に秘められた力を引き出して優勝させる、そこが親の仕事なんでしょうね。

 今日は成人式のミサという事で、成人する若い方々のためにお祈りしていますけど、この檄を飛ばすような親心っていうやつにちゃんと気づくのが、成人ってことでしょう。まだ子どものうちは檄飛ばされて励まされて、それはそれでいいんですけど、二十歳になって成人したら、親がどれほどの想いを持って子供たちを見ていたかっていう事に気づかなきゃならないし、さらにはそろそろ今度は自分も子供を励ます側にまわっていくんだっていう自覚を持たないとなりません。そういう、親から子へ、子からさらにその子へっていう、大きな流れの中で自分を見るっていう事ができるようにならないと、成人て事にはならないんでしょうね、と思います。
 聖書を読むと、天の父がイエスに、「あなたはわたしの愛する子」って言うんですね。さらに、「わたしの心に適う者」と。これなんかもうまさしく親から子への檄の飛ばし方でしょうね。あなたは私の愛する子だ、ただの子じゃない、愛する子なんだ。私の心に適う者だ、神の願った通りの存在なんだ。あなたには愛される価値があるし、神の願いを実現する力があるんだっていう熱い想いが、まさに天が裂けてイエスに下ってくるんですね。イエスにしてみたら、それこそ神さまから直接、「いいよいいよ、いけるいける!」って檄を飛ばされて、スイッチが入っていよいよ活動開始っていう、そんな美しい瞬間の記録ですね。
 天が裂けて神さまの声が聴こえちゃうなんていうのはほんとは掟破りなんですけど、イエスと神の熱い関係ならそれも大ありっていう事なんでしょう。ただ、それは我々だって同じなんですよ。さすがに直接は聞こえませんけど、「あなたは私の愛する子」って言われてますし、「私の心に適う者」って思われてるって信じて、それこそスイッチ入れてね、元気に走っていきましょうっていう、そういう励ましの箇所を読んだと思って頂ければと思います。
 もちろん、神のみ心は、全ては判りませんよ。選手たちだって監督の想いは全部はわからない。直前にメンバーから外されたりします。でも、監督を信じていれば、チーム全体のためにそれが必要なんだと受け入れることができる。神さまだって、みんなを上手に組み合わせていますし、駅伝の優勝で言うなら、まさに神の国の完成っていう大目的に向かって神さまはチームを導いているわけですから、信じなければなりません。神のみ心をすべて理解することはできませんが、信じることはできます。「何で私はこうなの」とか「どうしてこんな目に合うの」とか、色んな想いを持つ事があっても、その人にとって一番良いことを選んで、一人一人の想いにちゃんと寄り添っている神のみ心を信じるっていうのが、キリスト者なんだろうと思います。

 成人式を迎えた方たちにぜひ読んでもらいたい本があるんでご紹介します。柳美里さんの「JR上野駅公園口」。この度全米図書賞をもらって、一気に有名になりました。「JR上野駅公園口」ですからね、上野教会としては読まずにはいられない。実際、普段歩いてる、知ってる箇所がいっぱい出てきて親近感が持てます。福島から出てきて上野公園に住んでる、一人のホームレスの話です。これ、全部一人称なんですね、全てそのホームレスの目で見た景色であり、聴いた音なんです。彼がかいでいる香りであり、感じた感覚なんです。最初から最後まで、全部そうです。作家の想像力、取材力って凄いなあと思うわけですけれども、重要なのは、これが我々の目から見た景色や音と、やっぱり全然違うんですね。
 小説は上野駅の山手線の内回りのホームから始まるんですけど、そこで彼にはどんな音が聴こえているか。公園口を降りて横断歩道を渡るとイチョウの植え込みがあって、そこに座って、何を感じるか。東京に出てきた最初の夜、路上で寝るんですけど、これが東京文化会館の軒下なんですよ。ちなみに今の公園口、そのころと全く変わりましたね。ご存知ですか? びっくりしますよ、小説にあった横断歩道なんか、もうなくなってんですよ。道路自体がなくなって、改札から文化会館まで広場になってます。そんな変化も含め、我々の目から見た街と、ホームレスのまなざしから見た街ってやっぱり全然違うと思うんですね。小説の中には不忍の池も西郷さんも出てきますし、東京都美術館や芸大も出てきますし、或いは昭和通を入谷から言問通りに入ったところの中央図書館で過ごすとかね、そんな話も出てきてね、まさにこの辺の話なんですけど、同じものを見ていても、我々がいつも見ている景色と彼らの見ている景色は違うんです。
 上野公園に皇族が来た時の「山狩り」の話とかも出てくるんですけど、通称「山狩り」って言うんですね、その時だけホームレスたちが全部小屋たたまされて、皇族が帰ったらまたそれを作り直す。これ、事実ですよ。いつだかも、皇太子夫妻が通る時、上野教会にも警官が来ましたからね。前の門閉めてくれって。なんだかなあと思いながらガラガラガラと門閉めると、パトカーに先導されて黒塗りの車列が通り過ぎる。高速の入谷出口から公園に向かうときに教会の前通るんですよ。小説の中で、天皇陛下の車を見送るシーンがあるんですけど、彼らの見ている景色とぼくらが見ている景色と、違うんですね。凄く辛い思いをして、心に苦しい過去を抱えて、本当にもう絶望の中で、この上野を見ているそのまなざし。絶望の中で聴いている人々の声。それはもう、ぼくらが上野公園を散歩したり、公園口を出て買い物したりっていうのと全然違う。
 その違いに、どれだけ気付けるか。私以外の人が、どう感じているのか。目の前の人がどんなふうに傷ついていて、どんな思いを持って今歩いているのか。この、「私以外の人」に向かう想像力、その力はやっぱり小説家っていうのは凄いわけですけど、我々もそういうまなざし、そういう耳を持つ必要があるだろうと思いますよ。特にキリスト者には欠かすことのできない力じゃないですか。普通にはみんな自分の事しか考えませんし、自分の見え方感じ方が全てでしょうけど、こうしていても、ここに50人いれば50通りみんな違うふうに感じてるわけですよね。みんなそれぞれに苦しんでいるし、みんな助けを必要としている、その一人一人が今何感じてるのか。あの文化会館の軒下での生まれて初めての野宿、どんな気持ちなのか。
 東京文化会館、今度行ったらこの話思い出して、よく見てくださいよ。前川國男さんの名作で、私も大好きな建築ですけど、美しい曲線の深い軒が出てるんですね。だからホームレスにとってはとっても過ごしやすいんです。現に、うぐいす食堂に来ている方で、夜はあの軒下で過ごしている人いますよ。あの美しい軒を見上げて、「ああ、モダニズムのいい建築だねえ」っていう人はいても、「ああ、この深い軒だったらホームレスは濡れずに夜を過ごせるねえ」って思う人はいないでしょう。でも、あの小説読んだらそう思いますよ。

 ぼくらはみんな自分の目だけで物事見てますけど、ほんとに辛い思いをしている人は今どう感じているんだろうっていう、この想像力っていうのは、キリスト者の特権ですね。その意味では、イエスっていう人は、めちゃめちゃ想像力のある人なんですよ。想像力っていうか、共感力っていうか、目の前のどんな人であっても、その人がどう感じてるのかが分かるし、その人の人生をイメージできるし、その人の思いに共感できる。これはやっぱりイエス・キリストですし、キリスト者っていう事でしょう。
 そもそもが天が裂けて「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」っていうその声の主は、皆さんにもそう語りかけてるわけですけど、これ、皆さんの心をちゃんとわかっているし、共感してるってことです。その苦しみも全て知っているし、その痛みをちゃんと感じているし、そのすべてに共感してくれているんです。そんな神さまのまなざしに励まされて、我々も神の子として成長して、キリスト者として成人して、今度は誰かの心の中を想像する、目の前の一人の想いに共感する。

 共感っていうなら、昨日、NHKで地球温暖化の番組やってましたけどご覧になりました? なかなかびっくりしたのは、温暖化対策は2030年がタイムリミットで、それ以降になると、地球が暴走し始めて、どんどん温度が上がって歯止めが利かなくなる。もはや人間が何しようとも、氷は溶けちゃうし、中からメタンガスがさらに出てきてさらに暑くなって止められなくなる可能性があるって。2030年って、あと9年ですからねえ。そうなると今の災害どころじゃなくなるそうで、現に今シベリアの永久凍土が溶けてますけど、そこから何百万年も眠っていたようなウィルスが出てきて、人類に大変な災厄をもたらす可能性があるんだなんて事まで紹介されてました。
 ぼくが地球温暖化について最初に知ったのは神学生の時で、その頃から危機感を持って資本主義の限界について勉強してきたんですけど、それってもう40年も前なのに、その後ろくな危機感もないままに人類はどんどんがけっぷちまでやってきて、いよいよあと10年がリミットだなんて、どうしちゃったんでしょう。どうしたらいいんでしょう。回心が必要だっていう事でしょ? 想像力を働かせて、生き方、暮らし方を根本から考え直す、そんなタイミングでのコロナなんじゃないですか。経済の事、政治の事、本来の人間の在り方の事、それらを考え直す、その意味ではほんとに恵みの2020年だったし、2021年になっていくんでしょう。ここから2030年まで「勝負の10年」だそうですよ。
 それにしても、この半世紀、我々は何やってたんだろうねって事ですよね。ちょうど、コロナが広がるってわかってるのに、この一年政治は何やってたんだろうねっていうのとよく似てますよ。だけど、なんでこうなっちゃうのか分かりますか? それは、想像力がないからです。共感力がないんですよ。医療の現場がどれほど苦しいか、コロナで亡くなってく人がどれほど辛い思いをしたか。地球温暖化で災害が激しくなって川が決壊して亡くなった方もいて、どれほど現場が辛い思いをしているか。それって現実だし、ニュースでちゃんと流れていても、テレビで見ても「まあ大変ねえ」で、チャンネル変えてお笑い番組でアハハハって、まあ、子どもならそれでもしょうがないのかもしれませんけど、ぼくらはもう成人しなきゃいけない。いつまでも「私たち神の子は神さまに愛されて嬉しいな」、だけじゃダメなんです。もはや待ったなしで成人しないと間に合わない。人の気持ちも想像して、痛みを抱えてる人に共感して、具体的に動く。
 2021年は、温暖化を防ぐために、コロナを超えていくために、そのためにまずは貧富の差をなくするために、実際に具体的な行動を、自分なりに目標を定めて始めていく、そういう2021年に致しましょう。今までもそれなりに頑張ってきてるとは思うんですけど、ほら、コロナだってよく似てるじゃないですか。自粛して頑張ってやってきたけれど感染者数や重症者数がどんどん上がってくると、あわててこりゃどうにかしないとってなりますよね。まさに心を新たにして出発する、そういう2021年になりました。
 神さまとしては、「あなたは私の愛する子だ、わたしの心に適う者だ」ってね、我々に檄飛ばしてくれてるんです。「できる。必ずできる。いいよいいよ、いけるいける」ってね、ちゃんと励ましてくれてますよ。「男だろ!」とは言わないでしょうけどね。「わが子だろ!」ですよね。「お前たちは神の子だ! わたしの子だ! 信じてるぞ、お前たちなら必ずできる。神の国に向かって、さあスイッチを入れろ、ギアチェンジだ!」


2021年1月3日録音/2021年2月27日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英