福音の丘
                         

平和をわれらに

年間第28主日
第一朗読:イザヤの預言(イザヤ25・6-10a)
第二朗読:フィリピの信徒への手紙(4・12-14、19-20)
福音朗読:マタイによる福音(マタイ22・1-14)
カトリック上野教会

 

 おとといの10月9日って何の日か、知ってる人いますか?
 たぶん知らないでしょうけど、ジョン・レノンの誕生日です。生きてたら今年で80歳なんですねー、びっくりですよ。私はその17歳下ですけど、ジョンの歌を中学、高校、学生時代、神学生時代とリアルタイムで聞いてまいりましたし、ただのファンと言うよりも、実感としてはその生き方に凄く共感できる、大切な友人みたいに感じてます。まあ、友人はおこがましいかな、でも、本物を見つけて本物を目指して精一杯生きる、同志のように思ってるし、ジョンと共に生きてきた日々、みたいな気持ちもある。そのジョンが、80歳。感無量です。今日は敬老ミサですけれど、浅草教会では対象が80歳以上ですから、ついにジョン・レノンも敬老会(笑)。
 彼は40歳で殺されてるんで、没後40年ってことにもなるんですね、今年。メモリアルイヤーってこともあって、2年前からジョンのふるさとリバプールで開かれていたDOUBLE FANTASYっていう展覧会が、このたび日本に廻ってきました。それが、おとといのジョンの誕生日から公開されたんで、私はもう当然、初日にワクワクしながらジョンに会いに行ってまいりました。麻布のソニーミュージック六本木ミュージアムで、来年1月まで開かれておりますので、みなさんもぜひ行って、ジョンとヨーコの出会いから、殺されるまでの啓示的なプロセスを体感して、それこそジョンのアルバムタイトルじゃないですけど「ジョンの魂」に触れて頂ければと思います。
 彼の人生、その生き方って、何かスペシャルなスーパースターの話とか才能豊かな天才の話じゃなくて、実はそのまんま我々の事なんですよ。自分の内なる平和を求め、みんなが共に生きる楽園を必死に求めて生きていく、それを見つけていくプロセスの話ですから。それはもう誰もが求めているはずでしょう。人であるならば、誰もが。

 今日の福音書ですけど、まさに今日の聖書のテーマは、楽園ですね。楽園というか、神の国というか。そこにみんなを招く神のもてなし、みたいなのが今日の聖書のテーマです。神さま、確かに楽園を造りました。だけど僕らがそれに気づかないでいるので、そこに神さまは一生懸命招いてるんですね。
 みんな楽園を求めているのに、来ようとしない。
 みんな楽園をもう生きているのに、それに気づこうとしない。
 みんな楽園を秘めているのにそれを閉ざして苦しんでいる。だから神は、みんなをその楽園に目覚めさせ、招いているんです。
 第一朗読ではね、その楽園を、「万軍の主はこの山で祝宴を開いてとびきりの肉と酒を用意している」っていう主のもてなしのイメージで語ります。
 答唱詩編では、「神は私を緑の牧場に伏させ、憩いの水辺に伴われる」、と。この私のために会食を整えて、この私の頭に油を注ぎ、この私の盃を満たしてくださる。神が、ですよ? 神が最高のもてなしをしてくれる。こっちにそんな資格があるんだかないんだか、一切おかまいなしに、神がそうしてくださっている。
 第二朗読では、パウロがそれを、「神はキリストイエスによって必要な物を全て満たして下さいます」、って表現しています。新約時代を生きる我々は、神さまのもてなしを、キリストによって体験しているんですね。もう、感謝以外何もないっていう事なんですけど。なのに、それを無視している、そこに行こうとしない、それを受ける事を拒否しているのがあなたたちですよってイエスは言ってんですね。神が楽園を用意して、そこに私達を住まわせているのに、我々の方がそれを拒否している。じゃあ、なんで拒否しちゃうのか。そこがやっぱり一番の問題。なんでそんないいものを拒否しちゃうのか。
 それは、その楽園を「求める思い」を閉ざしているからです。神さまは楽園をちゃんと与えているのに、それを素直に受け止め、正直に求める気持ちを閉ざしている、あるいは閉ざされている。本当は単純に楽園を求めればいいんですよ。それはほんとにあるんだし。なのに、この世の目先の事に迷わされて、一人は畑に行く。まあ畑も大事ですよ、仕事大事ですから。ひとりは商売に出かける。まあお金も大事ですよ、生きていかなきゃなりません。他の人々は招待に来た家来達を殺してしまう。まあ、そういう怒りとか暴力とかも私達は抱えてます。だけど、畑も忙しい、商売がんばろう、しまいに怒って暴力振るってっていう、こんな世界でほんとにいいのか?っていう素朴な疑問が、本来、なきゃいけないんです。世の現実に対して、「しょせんこんなもんだ、これで行くしかないよ」じゃあなくって、「いや、これ、おかしいだろう。もっとちゃんとした楽園にできるはずだし、そこに向かっていかなきゃならないし、我々はそのために生まれてきているのに、あきらめてこのまんまにしておくのは、おかしいよ」。そう言わなきゃいけないんです。
 ジョン・レノンっていう人は、まさにそういう人だった。彼に言わせれば、この世界のほうが狂ってるとしか思えない。自分はほんとに自分に正直に、自分の心の奥底から求めている愛を歌い、平和のために行動し、アーティストとして自己表現をしてるんだけれども、それがおかしいとか、常識がないとか、時には狂ってるとまで言われる。だけど、狂ってるのはこの世界のほうなんだっていう事を、徹底して彼は主張します。「平和をわれらに」っていういう名曲があって、ネットで聞いてみてください。浮世離れしたパフォーマンスですけど、まさにどっちが狂ってるのかってことでしょう。
 そこが、私も共感する処なんですよ。狂った世界に慣れ親しんじゃうと、こんな世の中、こんな社会、こんな政治、こんな経済、こんな環境、それがどんなに異常でも「ま、こういうもんだ、しょうがないよ」とあきらめちゃう。コロナになったらコロナになったで、ま、これもしょうがないねって言うだけで、じゃあコロナで苦しむ世界を私はどうやって具体的に善いものに変えていこうかとか全然考えず、ただ自分の安全を図るばかりで何もしない。そうじゃなくて、自分の中に確かにある、「楽園を目指す、あこがれる気持ち」っていうものを何よりも大切にして、日々チャレンジし続けるっていう、そこがね、ジョンの魂なんです。それは多くのミュージシャン、アーティスト、クリエイター達に影響を与えたし、おそらくその影響力という事で言うならば、20世紀最大のアーティストだったと。あの人美術学校出てるんですけどね、自己表現したいんですよ。私も美術学校出てるから分かりますけど、実は絵を描きたいわけじゃないんです、自分を表現したいっていう切実な想い、それなんですね。
 そんな彼が、ヨーコと出会う。本当に自らの魂を表現して、この世界を善いものに変えていこうとするんであれば、まずは自分の中にある平安に気づかなきゃならないわけですけど、そのような魂のアートをヨーコはずっとやってましたし、ジョンはそれに出会って大きく変わりました。ほんとに変わった。何といっても、Beatlesから抜け出したわけですから。良かったと、私は思う。
 私はBeatlesファンですけど、Beatlesを選ぶかジョン・レノンを選ぶかって言われたら間違いなくジョンを選びます。もちろん素晴らしいですよ、Beatles。中高時代、どこでもBeatlesの曲ばっかり流れてました。お世話になったね、青春時代のBeatles。だけど、ジョンにとっては、それは楽園じゃなかったんです。大成功しましたし、たくさん曲も作りました。だけどそれは彼にとっての本当の楽園じゃなかった。何故なら心の中に、いくら成功しても募る、さみしさ、或いは怒り、どうしようもない空しさ、そう、ともかく空しさでしょうね、それが渦巻いていて。生きていくためには、そんな自分をどうにかして受け入れていかなきゃならない。あの人、両親に恵まれてないんですよ。家を顧みなかった父親と、奔放な母親で。ようやく母親と向き合える歳になった頃、17でしたかね、そのお母さんも交通事故で死んじゃうんですね。その心の隙間を埋めるかのようにのめり込んだロックンロール。でもね、彼が本当に目指していたものは、実はそこにはなくて、ヨーコの中にあったんです。

 今回の、ダブルファンタジー(DOUBLE FANTASY)展ですけど、最初の所に、ジョンとヨーコが出会った時の有名な脚立が置いてあります。有名なエピソードですけど、ご存じですか? その頃ヨーコはもう世界的に有名な前衛アーティストだったんで、友達の紹介でジョンがヨーコの展覧会に来たんですね。作品の一つが体験型のアートで、白い脚立が置いてあってだれでも上れるんです。上ると天井から虫眼鏡が吊るしてあって、天井には小さな文字で何か書いてある。虫眼鏡を近づけてよく見ると、そこに小さく「yes」って書いてある。ただそれだけの作品ですけど、それを見た瞬間は、まさにジョンが生まれ変わる瞬間になりました。・・・「Yes」。それは、私に言わせれば、神がこの世界をお創りになった時、「全てを良しとされた」わけですけど、その「良し」ですよ。ジョンは、自分を全部肯定してもらった、っていう気持ちになって、その作品の作者と親交を深め、やがて結婚します。その有名な作品が展示してありますから、ぜひご覧ください。
 余談ですけど、これ、リバプールでは去年まで70万人見てるんですよ。だから東京でも、初日のジョンの誕生日はどれくらい混むんだろうと思って、発売同時に初日のチケット取って、開場前から並びたかったのに、その日は入門講座があったので(笑)、午後から行きました。ところが、なんと、ガラッガラ。一部屋一人、みたいな。もう、そういう時代じゃないんですねー。ジョン・レノンって誰?っていう(笑)若い子もいますから。
 そんなわけで、どうぞ、ゆっくり見る事ができますから、一つひとつ眺めてきてください。そこに、一人の魂が救われていく歴史があります。ジョンは自分の空しさを、ヨーコとの出会いの中で満たしていきます。彼が自分の中の本当の想いに気づいてくプロセスは、中々感動的です。ちなみに彼は、ヨーコと一緒に心理療法を受けるんですね。皆さんも、自分の中のコントロールできない怒りとか、もっとこうしたいのになぜか出来ないとか、なんで私はこれについてはこんなに弱いんだろうとかあるんじゃないですか? ジョンが受けた心理療法はプライマル療法っていうものです。これは、アーサー・ヤノフっていう、これ、神学生時代に読んだ忘れられない本でもあるんですけど「原初からの叫び」っていう本の作者の療法です。原初、つまり生まれて間もないころから、みんな、なんらかの抑圧を体験するんですね。「ママ、もっと愛してー!」とか「パパ、行かないでー!」とか、どんなに叫んでも聞いてもらえないっていう。それで、いつしかその叫びを押し殺して「そんな事言ってちゃいけない」「強く生きていかなければ」「泣いてもしょうがない」とかいう大人になっていくわけですけど、実は深いところにその不満がずっと残っていて、それが色んな折々に怒りとなって噴出したり、突然の虚無感に襲われたりとかしちゃう。だから、いったんその原初のとこまで戻って、一番最初の叫びをちゃんと叫びなさい、みたいな。「なんでだー!!」とかね。「行かないでー!」とか。「僕を愛してー!」とか。いまさらそんな事言っても、って思うかもしれないけれど、それを今ここでちゃんと叫べば、必ず受け止めてもらえるし、応えてくれるんだという、そこに救いを見出す。そもそもキリスト教って、神がそれをちゃんと聞いて受け止めてくれるって信じる宗教ですから、その意味ではとてもキリスト教的な療法ともいえるわけです。逆に言えば、この原初からの叫びと向かい合わない限り、実はちゃんとしたクリスチャンにもなれないんじゃないかな。心の奥底に神が与えてくれているはずの、真の喜び、平和を求めて、ちゃんと叫ぶことのできる人こそ、キリストの仲間でありうる。間違いなくジョンは、キリストの仲間です。
 ジョンの「Imagine」っていう名曲がありますけども、「天国なんかないって想像してごらん、宗教なんかないって想像してごらん、それは素晴らしい事だろう?」っていうね、一見、クリスチャンとしては、え?!て思うかもしれない歌詞ですけど、ここでジョンの言う「天国」っていうのは、人間の身勝手な欲望が勝手に造りだした偶像の天国の事であり、そんなものを求めているから人類は苦しむんだってことですよね。ここで言う「宗教」っていうのも、人間の原理主義的な囚われが生み出した偶像の宗教の事であって、そんなものを信じてるから人類は争いあって、本来の神の国に目覚められないってことですよ。それって、キリストの言いたいことそのものじゃないですか。そう思えば、ジョンほど美しく透明な宗教観を持っている人はいないって言っていい。実は誰もの中にそういう透明で普遍的な神の国が開けているはずなのに、それを閉ざして押し殺している、それを求めないで諦めている、そういう人達に向かってジョンは、子供のように素直に、殉教者のように恐れを知らずにその叫びを表現したし、まさにそれを表現しないでは自分でいられないっていうくらい情熱的に、まあ、それが彼の資質、天才性なんでしょうけども、まっすぐに表現してくれました。
  だからこそ私も、そんなジョンに対して反応するわけですよ。「こんな世の中おかしいよね」って常に思ってますから。私もまた、自分の中にある怒りとか空しさとかと常に向かい合ってきたし、心の中に真の平和を造りだそうとしてきたし、これからも、この世界の平和をみんなで求め続けようよって語り続けたいですから。その意味ではジョンは私の先輩であり、先生でもあったわけです。

 そんなジョンが亡くなったのは、12月8日。私は神学校の一年生でしたけど、一報を聴いて衝撃のあまり、文字通り言葉を失った。殺された? なんで? ジョンは35歳から40歳まで子育てに専念して音楽活動から離れてたんだけど、その間にヨーコと、息子のショーンと共に体験した楽園を表現するために活動を再開して、DOUBLE FANTASYっていうアルバムを作りました。それに先行してStartingOverってシングル曲が出て、ファン一同興奮して感動して聞いたもんですけど、StartingOverって要するに「再出発」って意味ですね。新しくもう一回始めるんだっていう。まさに、いったん休んだおかげで見つけた楽園を、みんなもこの楽園を目指そうよって言うかのように、表現し始めた、その再出発が最後になってしまいました。あれから40年。もしも生きていたら、どれほどクリエイティブな作品を作ったことか。どれほど普遍主義的な活動をして楽園を見せてくれたかと思うと、絶句します。ジョンが生きていたらトランプさんなんて出てこなかったんじゃないか。(笑)
 DOUBLE FANTASY。そのStartingOverを筆頭に、Womanとかね、BeautifulBoyとかね、もう名曲の数々が入ってるんですけど、殺されたと聞いた夜、ショック受けてレコード聴いてて、ああ、こんなすばらしい曲を作る人を、なんで殺すんだって思った時に、ようやく気づいたんですね。「って事は、この先、ジョンの新曲はもうないって事だ!」って。それに気づいた時、ニュースを知った時よりもショックで、もう、何だろう、号泣しました。失われたもののかけがえのなさ。その残念さ。
  実はジョンを殺したのは、ジョンのファンなんですね。ファンって言っても、狂信的なファン。つまり、偶像崇拝なんですよ。偶像を作り上げ、祀り上げ、そして破壊する。怖いのは、偶像崇拝です。今でもアメリカでも日本でも、いろんな偶像を作り出し、崇拝し、結局それを破壊したりしてますけれども、透明な楽園を知らないってのはそういう事ですよね。悲しいし、まあ残酷だし、当然キリストの事を想っちゃいますよ。祀り上げられて、そして殺されて。
 Beatlesを離れてからの、ジョンの活動とかメッセージとかが或る人たちにとっては好ましくなかったんですね。自分の偶像を壊された気持ちになる。それは分からないでもないけれども、ついには自分の偶像を守るために、本人を殺しちゃう。そういう事もあるっていう事です。でも、殺されたからこそ、実はすごく大きな働きをするっていう事も、あります。キリストがそうであったように。現に、私はあれ以来、ことあるごとにジョンから力をもらっているし、まあ言っちゃえば、後はお任せくださいみたいな気持ちになることもある。Love&Peaceって大事だし、だれもが願っているようでいて、じゃあ、それをほんとに今の世界で叫んでいるか。他者を受け入れる事、異質なものを排除しない事、そういう事をちゃんと表現しているか。あれから40年、気づけばジョンよりも20年以上長生きしちゃったけど、さあここからだぞっていうような想いはある。だって、天国でジョンに会った時にね、何も言わずに固く握手を交わしたいからね。そのためにもやるべき事がいっぱいある。
 ジョンが殺されたおよそ20年後に、アメリカで同時多発テロが起きました。いわゆる9・11ですが、その直後、まだグラウンドゼロから煙が上がってるような時にニューヨークを訪れました。つながりのあった司祭が亡くなってるんで、追悼のミサをあげに行ったんですけど、その時真っ先に行ったのがStrawberryFieldsです。ジョンの住んでいたダコタハウスの目の前の、セントラルパークの一角にStrawberryFieldsって名付けられた小さな庭園があるんですね。ジョンの死後、各国から贈られた樹や石で造られた庭です。もともとはStrawberryFieldsっていうBeatlesの曲があって、これはジョンが子供の頃、無邪気に遊んでいた庭の名前なんですけど、そこは彼にとっての楽園だったんですね。だから、「その楽園よいつまでも」、みたいな曲を作ったわけで、その曲のタイトルを用いて、ジョンを追悼する庭としてつくられたものです。
 その庭の中央の地面に、IMAGINEて書いてあるモザイクがあるんですね。いうまでもなくジョンの「イマジン」へのオマージュとして、暴力を超えて真の平和をもたらすシンボルとしてつくられたもので、いつも心ある若者たちが集まっています。私にとっては聖地巡礼のつもりで訪れたわけですけど、9・11の直後と言うこともあって、若者たちが集まって、ギター片手にイマジンを歌ってました。私も一緒に歌ったわけですけど、覚えてますか、あのテロで人々の心が傷ついていたとき、世界中でジョンのイマジンが繰り返し歌われましたよね。それは、暴力的な原理主義、人を傷つける憎しみ、結局はカネと権力の争いという、この狂った世の中に、今まさにジョンの魂が何よりも必要とされたってことです。「想像してごらん」と。真の平和、みんなが受け入れ合える真の楽園を想像してごらん、と。人が想像できるものは必ず実現できるはず、と。確かに、真の普遍主義をちゃんと叫び、ちゃんと表現して実践していくのは大変な事ではあるし、それは時に殉教すら招きかねないけれども、ほら、ジョンの仲間たちはそれを信じて集まっているよ、今日も一緒に歌っているよ、と。そんなジョンの同志たちをStrawberryFieldsで目の当たりにして、本当に感動致しました。
 なんでその話をしているかっていうと、そのダブルファンタジー展の、一番最後の部屋に、なんとそのモザイクが再現されてたんですよ。それ知らなかったんで、見た瞬間立ち尽くしました。そこまでは、今日は泣くまいと思って我慢してきたのに、あれには泣かされた。そして、モザイクの上に立って、分かったよ、再出発だろ、と。みんな一緒にやってこう、と。そう、決心を新たに致しました。
 天国はどっか遠くにあるわけじゃない。神さまはもうちゃんと私達の内に用意してくださってます。それに気づかずに人生終わらせるわけにいかない。ジョンがヨーコと出会ったように、天国は、誰かもう一人の他者と、ちゃんと出会った時にこそ始まります。コロナ時代、ちょっとみんな孤立して、ばらばらになっているけれど、こういう時代だからこそもう一回、ジョンの歌を聴きたい。
 平和をわれらに。

 

2020年10月11日録音/2020年11月6日掲載 Copyright(C)2019-2020 晴佐久昌英