主の降誕(夜半のミサ)
カトリック上野教会
第一朗読:イザヤの預言(イザヤ9・1-3、5-6)
第二朗読:使徒パウロのテトスへの手紙(テトス2・11-14)
福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・1-14)
ー 晴佐久神父様 説教 ー
改めまして、クリスマスおめでとうございます!
今年も、大変な一年でした。それでもこうして、クリスマスを迎えます。私たちはキリスト者ですから、見えない世界を信じる者ですから、見える世界がどれほど大変であっても、見えない世界に希望を託します。目には見えなくとも、神さまは確かにおられます。主イエスは私たちを救うために確かに生まれてくださって、目には見えなくとも、私たちの心の内に、今も共におられます。みなさんは、それを信じてますか?
見えない世界を信じるのってね、なかなか、この科学万能主義、合理的思考の世界の中では難しい事かもしれませんが、今日、この夜は、私たちは信じます。この聖なる夜に満ちている、見えない世界の気配を感じとって、信じます。先ほど読まれた福音書にも天使の話が出てきましたけど、たぶん現代人は、天使なんて想像上の存在だろうって言うんでしょう。しかし、申し上げておきますが、天使はね、人間のどんな想像も超えたリアルな存在です。この現実以上の現実です。この現実を創っている神の使いであり、その神のみことばによって神と人を結ぶ、神の愛そのものです。その天使が、目には見えない神の愛が、目に見える幼子としてこの世界に生まれたことを、宣言しているんです。
「今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになった」(ルカ2・11参照)と、先ほどみなさん、聞きましたでしょう。あれは、私が朗読した声じゃないですよ。みなさんの心に届いたその声は天使の声ですし、神からのみことばですし、それを耳にしたとき確かに、みなさんの内に現実に救いが生まれたんです。こんなうれしいことがあるでしょうか。「あなたがた」って、みなさんの事ですから。昔話でも、どこか遠くの話でもない。大変な今日を生きている、みなさんの事です。この一年間、ご苦労様でした。本当に、大変でした。大変でしたけど、今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
今朝の毎日新聞読んでたら、面白い事が書いてありました。論説委員の書いたコラムなんですけど、アメリカで一番有名な社説の話が載ってて。一二〇年以上前のニューヨークの新聞の社説です。
八歳の少女が、新聞社の編集部にお手紙を出したんですね。「私の友だちは、サンタクロースはいないって言うけれど、本当のことを教えてください」と。これに、論説委員のひとりが社説で答えました。「その友だちは間違っているよ。きっと、見たことしか信じられないんだろうね。実は、サンタはいるよ。愛とか思いやりとかいたわりとかがあるように、サンタもいるんだ。そういうものがあふれてるから、人は癒されるんであって、サンタがいなかったらさみしい世界になっちゃうよ」と。これが評判になり、読者の要望もあって、その後その新聞社では、毎年クリスマス前にこの社説を掲載するようになったとか。
で、面白かったっていうのは、そのコラムでそれに続けて、「ところが最近、こんなニュースが飛び込んできた」と紹介しててですね、イタリアのカトリックの司教さんが小学生相手に、こう話したと。「サンタクロースなんて、いないんだよ。あの赤い服は、コカ・コーラの広告のために選ばれたんだ(笑)」。もっともこれ、後半は事実で、あの一般的なサンタクロースのでっぷりして赤い服着てるイメージは、元々はコカ・コーラのコマーシャルで有名になったんですね。まあ、司教さんとしては、消費イベントになっているクリスマスの商業主義への懸念を伝えたかったようですけど、それにしても司教がサンタを否定することには批判が相次いで(笑)、「子どもたちを失望させて申し訳なかった」って、広報を通じて遺憾の意を表明したと。
でね、その毎日のコラムでは、「感染症や内戦、放火や殺人といった暗いニュースが続く今こそ、人々はサンタに象徴される思いやりやいたわりの心を求めている」として、特にクリスマスの時期には炊き出しをするグループに普段以上の米やみそが届くし、クリスマス会を計画する子ども食堂も多いことなんかを挙げて、「サンタは健在だ。今日はクリスマスイブ。サンタはきっとやってくる」って、記事を結んでいました。
おっしゃる通りで、上野教会でも、路上生活をしている人のための「うぐいす食堂」で先週もお弁当を配布しましたけど、クリスマスですから、クリスマスプレゼントを合わせてお配りしました。五〇人分ではありますけど、みなさんからの様々な寄付を詰め合わせにしてお渡ししました。寄付を呼びかけたらいっぱい集まってね、ありがとうございます、ご協力くださったみなさん。集まったお菓子や果物、あと下着とか靴下もいっぱい詰めて贈りましたけど、路上の方々、嬉しそうに受け取ってくれましたよ。
みなさんからの善意が、困っている人に届く。それは単なる物の話じゃなくて、クリスマスの心ですよね。私たちは、目には見えないけれども、確かに愛とか思いやりとかいたわりっていうものがあるって信じています。まさに、「サンタがいなかったらさみしい世界になっちゃ」いますからねぇ。うぐいす食堂からの、あの小さなクリスマスプレゼントがなかったら、あの方たち、もうちょっとさみしいクリスマスになったことでしょう。見えない世界を信じる私たちは、小さなサンタになって、ほんのちょっとの小さな贈り物をして、小さな天国を造り出します。見えない世界には、確かに永遠の天国があるっていう事を信じてるからです。見えない世界をこそ信じてね、見える世界にも小さな天国を実現させていきましょう。
今朝のそんな記事を読んでたら、午後になって、その毎日新聞から取材が入りました。毎日の記者さんがわざわざやって来て、「来年一月にコロナ禍の生活困窮者支援のコンサートをなさるそうですけど、それについて伺いたい」って。記事にしたいということで、「どういう動機でこのコンサートを企画したんですか」と聞かれたので、お答えしました。
「コロナ禍で身近にも苦しんでいる人が多くいますから、何か小さな天国を造ろうと思って企画しました。と言っても、このコンサートは支援金を集めるだけじゃなくて、当事者である生活困窮者のみなさんにも聞いていただいて、心の面でも励まして支えたい、というコンサートなんです。なので、路上生活者はもちろん、生活保護を受けている方たち、難民の方たち、技能実習生の方たち、心の病を抱えている方たち、障害を持っている方たちなどを招待していますし、もう一二〇人以上にチケットをお渡ししています。大村博美さんという世界的なソプラノ歌手の祈りの歌に感動していただいて、一つの家族のように心を合わせることで、小さな天国を実現させたいんです。キリスト教ではそれを神の国って呼ぶんですけど、実は神の国って、イエスさまの誕生以来、目には見えない形ですでに到来してるんですよ。愛し合う私たちの内に。ただ、今の世界は利己主義とか暴力とかでバラバラになっちゃって、神の国が分かんなくなっちゃってるから、現実のチャリティーコンサートを開いて、みんなで神の国を味わいたかったんですね。目には見えない天上の喜びの世界を、目に見えるこの世界で、ちょっとでも実現させたいと思いました」、などなど。
その記者さん、感動してましたけど、かなり驚いてもいて、「こういうのって、どこの教会でもやってるんですか?」って聞くんで、「いやー、なかなか、ちょっと普通の教会はあんまりやってないと思います。格式高い紀尾井ホールに路上生活者を招待するなんてのは、前代未聞なんじゃないですか」とお答えしたら、「晴佐久先生はカトリック内で異端扱いされませんか?(笑)」って言うので、「どうなんでしょう、イエスさまも異端扱いされてましたからねえ。わたしとしては、いつでも『正しい教え』よりも『正しい実践』を優先してるつもりです」とお答えして、あんまり感動してるんで、「これ以上私の話聞いてると、洗脳されちゃうから気をつけた方がいいですよ(笑)」と、申し上げておきました。コンサートには、当日、学芸部と社会部の記者も連れて来るっていうんで本人も併せて三枚チケット差し上げました。今日のその取材記事は、毎日新聞のウエブ版で紹介するそうですので、読んでいただければと思います。どうぞこのチャリティーコンサート、ご協力ください。生活困窮者の方や障がい者手帳持ってる方など、まだ招待枠が残っておりますから、お申し出くださいね。
ちょうど昨日、このコンサートの「合わせ」ってのを、都内のスタジオでやったんですよ、ソプラノとテナーとピアノの合わせ。三人とも日本のトップのソプラノ、トップのテナー、トップのピアノなんで、合わせとはいえ、すごかったです。私はもう、大感動しちゃってですね、これ、たぶん今の日本で最高のコンサートになるんじゃないかなっていう予感で胸がわくわくいたしました。ソプラノもテナーもカトリック信者ですし、ピアノは真言宗の僧侶の得度してる方なんですけど(笑)、祈りの心が満ちていて。制作側としては、「何でもいいから自由に、楽しく、本当に祈りの心が一つになっているコンサートにしてください」みたいに、申し上げました。
つらい思いをしている人を助けたいという熱い思いで一致して歌う、そんな現実には、聖霊が働きます。小さな天国、実現すると思いますよ。この世界には、それこそ思いやりとか愛とかいたわりとか、本当にあるんだよっていう事を証ししたいんですよ。そんなものは信じられない、この暗い世の中でね、愛だのいたわりだの、目に見えないものはあてにならないっていう人がいるとしたら、いいや確かにありますよ、世界はそんな目に見えない贈りものでできてるんですよって、証ししたいんです。サンタは、います。だって、ここにもみなさんがいるじゃないですか。愛と思いやりといたわりを持っている、みなさんがサンタなんです。ほらね、サンタはいるんです。
今日、すごく嬉しい事があったので、ご報告しましょう。さきほど洗礼面談をして、おひとりの方に洗礼許可をお出しいたしました。今もそこに座っておられますけど、心から「おめでとうございます」と申し上げたいです。来年の復活祭に、上野教会で洗礼をお受けになります。あなたもね、今までつらい思いをして随分苦しみましたけど、神さまの慈しみによって、救われました。
二年ほど前かな、悪霊というか、何か悪い力にとりつかれたと思い込んで絶望しかけていたときに、私に電話してきたんですよね? 私はそのとき、「大丈夫です、必ず救われます、たとえ時間がかかっても、必ず救われます、その意味ではもう救われてます」と、はっきり申し上げました。それこそ今日の日を見通していたかのように。私は見えない世界の働きについては、確信があるからです。悪の力って、実は見える世界の話なんですね。本当は、見えない悪霊が働いてるんじゃなくて、人が見える悪をつくり出してるにすぎないんです。見えない世界は、善に満ち満ちてるんだから。それを信じられずに、見える世界を悪い世界にしちゃってるに過ぎない。これはもう、ただ素直に信じていただくしかなくて。
あなたは、そのあと、お寺でお祓いしてもらったり色々なさったようですけど、やっぱり教会に救いを求めて、今度は本郷教会に電話したら、岡田大司教さんが出たんですね。引退した岡田大司教さんが、本郷教会にいらした。で、つらい思いを話したら「すぐにいらっしゃい」って言ってくださって、その日の内に茨城から本郷教会にとんで行ったら、岡田大司教さんが優しく迎えて話を丁寧に聞いてくれました。司教さんもご病気だったんですけど、以降一〇回近く丁寧に面談というか、入門講座をしてくださった。
その岡田大司教さんに悪霊のことを相談したら、あなたに「主の祈りを五〇〇回唱えなさい」っておっしゃったんでしたよね。面白いですねえ、主の祈りを五〇〇回。そんな指導、聞いたことない。だけど、大司教から「主の祈りを五〇〇回唱えなさい」って言われたら、ねえ、やるしかないでしょう。最高のご指導です。実際、唱え続けたら段々その悪い力から解放されて、唱え終わるころにはすっかり救われちゃいました。残念ながら、岡田大司教さん、その後お亡くなりになったので、今年の春からは上野教会に通うようになり、この度晴れて受洗が決まりましたと、そういういきさつです。
そんなあなたに、申し上げたい。忘れちゃだめですよ。二〇二一年一二月二四日、クリスマスイブの日に洗礼許可をもらったこと、その日のイブのミサで受洗のいきさつがこうして説教で語られて、あなたが洗礼を志願した理由も紹介されたことを、忘れないでください。あなたが志願した理由は、こういう理由です。「私は、祈りで救われました。だから、これからは、自分のためだけでなく、人々のために、世界のために祈りたい」と。素晴らしい動機です。祈りの世界は目には見えませんが、確かに存在します。この世界を根底で支えています。
見えない世界の素晴らしさを知っていますか。変な言い方ですけど、私、見える世界には、ちょっと飽きました。人間たちのやることって、大体おんなじ。っていうか、酷い勘違いばっかり。乱暴な出来事ばっかり。それは、見えない世界を知らないからです。見えない世界を信じていないから、こんな事になっちゃってる。もうそろそろ、見えない世界の美しさ、その力をね、みんな知るべきです。見えない世界の豊かさと言ったら、これはもう、飽くことがありません。
この夜、天使がみなさんに語りかけましたよ。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(ルカ2・10)。天使の姿、見えませんか? ここにおいでですよ。天使の声、聞こえませんか? 語ってますよ。大きな喜び、感じませんか? 恐れてはいけません。すべては、あなた方のためです。この一年の、つらかった出来事は、もうおしまい。来年は愛と思いやりといたわりに満ちた、小さな天の国を、身近な世界に造り出す年にいたしましょう。飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子は、愛と思いやりといたわりを必要としています。そして、私たちは、それを持っています。
クリスマス、おめでとうございます。
2021年12月24日録音/2022年3月3日掲載 Copyright(C)2019-2022 晴佐久昌英