福音の丘
                         

キリスト道

年間第30主日
カトリック浅草教会
第一朗読:エレミヤの預言(エレミヤ31・7-9
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ5・1-6)
福音朗読:マルコによる福音(マルコ10・46-52)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 反田恭平さん、やりましたねぇ。ちょうど先週、この説教壇でショパンコンクールのお話をして、ファイナルに反田恭平と小林愛実の二人が残ってるのは快挙だっていう話をしましたけど、なんとその二人とも入賞したんですね。しかも反田さんは日本人歴代最高位の二位。まあ、審査員も随分もめたようですし、これはもう一位でいいでしょう。
 ファイナルでの演奏、お聴きになりましたか? コンチェルトの第1番。もう、ああなると、名ピアニストのコンサートですね。審査員の人たちもうれしかったと思う。若い人たちが次々とね、ショパンを尊敬して集まってきて、それぞれのショパンを弾き切って感動を共有する。ぜひ聴いてください、YouTubeで聴けます。
 今回のショパンコンクールが特別だったのは、だれでも聴けたってことです。そっくり配信されたんですよ。高画質・高音質で。全世界で何十万人も聴いてたそうですけど、こうなると審査員もいい加減なことできないですね、世界中が審査員になっているようなもんですから。今回、世界中の人が反田恭平っていう一人の若き日本人ピアニストのことを覚えたでしょうし、みなさんも覚えておいて、機会があればお聴きになったらいいと思う。強靭でかつ柔らかく、時に高貴でどこまでも甘美なショパンのきらめきに魅了されますよ。ともかくも、第18回は、日本のピアノファンにとって忘れられないショパンコンクールになりました。
 反田恭平は、ショパンコンクールのためにって言ってもいいと思うんですけど、コンクールが開かれるワルシャワにもう4年も住んでるんですよ。ショパン国立音大に籍を置いて研究をし、練習し続けて、ああなるともう「ショパン道」みたいなもんですね。「その道」の伝統的な流儀を知った上で弾かないと評価されない世界ですから。茶道とか華道とかやってる人にはわかると思うんですけど、「お茶なんておいしけりゃいいでしょ。作法なんかどうでもいいじゃん」ってわけにいかないですよね。「花なんて自分の好きに飾ればいいんじゃないの」っていうもんでもない。剣道とかもそうですけど、およそ「道」って名のつくものは、長い伝統がありお師匠がいて、時には血のにじむような修行を乗り越えて一つひとつの所作を大切にします。「ショパン道」なんですよ、あのコンクールは。反田君は、その風貌もあって現地では「サムライ」って呼ばれてたみたいですけど、まさに武士のようにその道を究めたわけです。実際、予選で落ちていく人たちって、上手ではあるんだけど、どこか好き勝手というか、定まらないものがある。どんな道でもそうですけど、心を整えて、自分自身とも向かい合わないとならない。そういう道を歩んでいく若者たちに、ぼくは本当に励まされました。その意味で言うなら、我々は言うまでもなく「キリスト道」ですから。我々もまた、「私は道だ」という方の道を歩む、求道者ですから。

 道といえば、私は神学校に入る前は美術の学校に通っていまして、言うなれば「美術道」を歩んでいたわけですけど、「好きな画家は?」と問われれば「レンブラント、モネ、東山魁夷」とお答えしています。東山魁夷は、中学生のときに上野の日展で『白馬の森』を見て以来のファンで、つい先日長野に髭男(ひげだん)っていうバンドのライブを聴きに行ったときも、長野県立美術館の隣の東山魁夷館で、この『白馬の森』に再会してまいりました。美しい絵です。彼の絵は、前に立つだけで心が洗われる。それこそ、「日本画道」を究めつくした、戦後の巨匠です。
 「では、東山魁夷の作品の中で一番好きな絵は?」と問われるなら、これは『道』と答えます。ご覧になった方もいるんじゃないですか。国立近代美術館の所蔵ですけれど、ネットでも見れますから、ぜひ見ていただきたい。美しい絵です。そんなに大きな絵じゃありません。真ん中に縦に一本の道が描かれている、縦長のシンプルな絵です。牧場に向かう道なんですけど、なだらかな緑の草地の中を、手前から遠くの丘までまっすぐに白っぽい土の道が伸びている、ただそれだけの絵です。初夏の早朝で、あれは薄曇りなのかな、上部のなだらかな地平線のあたりがほんのりと明るんでいて、その明るみに向かって、道が伸びている。道は地平線の手前で一瞬消えるんだけど、画面の右に再び見え隠れしながら続いていて、やがてフレームアウトしていきます。
 ともかく、道しか描いてない。人も樹も、一切描いてない。早朝の空の青みがかった灰色と、田舎の道の白みがかった茶色と、初夏の草地のやわらかな緑、この三色だけのシンプルな絵です。この絵に私は霊感に打たれたように心動かされて、「ああ、これが世界だ、この世界は美しい道なんだ」っていう思いに満たされたし、いつかこの絵の道を歩いてみたいって思ったりもしたんです。とは言っても、これほど抽象化された絵は、たぶん画家の心象風景でしょうから、実際に歩くことなんてできないと思ってました。
 ところがですね、つい三日ほど前に、私、八戸に行ってきたんですね。八戸のウルスラ学院が90周年で、「ぜひ、お話に来てください」っていうことで記念講演会でお話ししてきました。で、八戸のホテルに泊まったんですけど、前日に車を借りて、海岸沿いを周ったんですね。蕪島っていう名所があって、以前に訪れたときウミネコがいっぱい集まってたんで、楽しみにして行ってみたら、一羽もいなかったんですよ。案内所のお姉さんに「ウミネコ、絶滅したんですか」って聞いたら「今、季節じゃないからいないだけです」って笑われました。ただ、そこに観光地図がかかっていて、ふと見ると「東山魁夷『道』の取材地」って書いてあるじゃないですか。「え! あの絵の道って、この辺だったんですか! 行けるんですか?」って聞いたら、「行っても道しかないですよ」って言うんで、「いや、道でいいんです」っていう、とぼけた会話になっちゃいました。「ここまっすぐ行けば道標が立ってますけど、見過ごしちゃうくらい小さくて分かりにくいし、車停められないですよ」って教えてくれたので、さっそく行ってみたんですね。
 ありましたよ。「あ、これか!」って、道標を見つけたんで、その先の海岸の駐車場に車停めて歩いて戻って来たんですけど、確かにその道、ありました。もう、感動しました。そっくりなんですよ。画家の空想のイメージで描いたのかなぁとか思っていたら、ほんとにそっくりの道がありました。今はアスファルトに舗装されちゃってるんですけど、でも、確かに絵のとおりに、丘に向かってまっすぐに伸びていて、その先が右に曲がっている。ただ、よく見ると丘には灯台が見えるんですけど、おそらく画家はそれを省いて、道だけにしたんでしょう。その、道一本をまっすぐに描いた彼の孤高の精神性が評価されて、この絵をきっかけに、彼は非常に有名になっていくんですね。1950年の絵です。私、もう感無量でね、ついに、実際にその道を歩きました。両側なだらかでいい景色なんです。絵の中で道が消えるところまで行ってみたら、その先が下り坂になってるんですね。それで一瞬消えてるんですけど、やがて右に曲がって上ってるんで、また見えてくる。ゆっくりと歩きながら、「おい、ついに『道』を歩いてるぞ」って、初めてこの絵に出合った頃の若かりし自分に語りかけてました。
 車を止めた海岸の案内所に、東山魁夷の画文集が置いてあって、パラパラめくってたら、その『道』をどんな思いで描いたかっていう文章がありました。思わず書き写してきたんで、一部分を読みますね。
 「私は、悲惨な戦争体験をした上、戦中戦後に父親、母親、弟とすべての肉親を亡くしている。確かにまだ死への思いにとりつかれてはいる。しかし今、墓場から甦った者のように、私の目は生へ向かって見開かれようとしている。すべてが無くなってしまった私は、また、今、生まれ出たのに等しい。これからは清澄な目で自然を見ることが出来るだろう。私の眼前におぼろげながら一筋の道が続いているのを見出すのでした。」
 美しい思いですね。戦争でつらい思いをし、家族をみんな亡くして、なんにもなくなっちゃった。自分自身も死への思いにとりつかれているけど、今、墓場から甦った者のように生まれ出ようとしている。・・・どこかキリスト教っぽいですよね。すべて失ったようで、絶望の淵にいるようで、でもそこからこそ、神は私たちを生みだします。そこから、神のわざが始まろうとしている、「あけぼの」の感覚です。キリスト教は、どんな困難に会っても「死から命へ」、「闇から光へ」という希望を極めるキリスト道なんです。その道が一本、我々の前にも伸びています。
 「今、墓場から甦った者のように、私の目は生へ向かって見開かれようとしている」
 「眼前におぼろげながら一筋の道が続いているのを見出すのでした」
 死の思いにとりつかれやすい私たちですけど、神によって、私たちの目は生に向かって見開かれていきます。そうして、おぼろげではあっても、確かに一筋の道を見出します。

 第一朗読のエレミヤの預言で、強制連行されて国を失った人たちの思いが書かれてますけど、それこそ国を失って、敗戦後の東山魁夷のように「すべてが無くなってしまった」という思いだったに違いない。しかし、そういう彼らを「わたしは連れ戻す。呼び集める」(cf.エレミヤ31・8)と、神さまが言うんですね。「その中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる」(エレミヤ31・8)と。そのように、ほんとうに大変な思いをしている人たちをみんな、連れて帰って来る。神さまが、そう宣言する。「彼らは泣きながら帰って来る」(エレミヤ31・9)って、これ、悲しくて泣いてるんじゃないですよ。もう感動して、喜びのあまり、です。そういう人たちをみんな連れて帰って来るという、その道はどんな道か。「彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。」(エレミヤ31・9) 
 そうなんです。救いの道は、まっすぐなんです。東山魁夷の絵の『道』も、行って気づきましたけど、実物よりもまっすぐなんですね。それは彼自身の、「私は、今、ここを歩いて行く」、「目の前のこの道を、信じて行く」という思いだし、その思いが、それぞれの人生の道を歩む人々を、励ますんだと思う。

 福音書では、イエスさまが、「何をしてほしいのか」(マルコ10・51)って、盲人に問います。盲人が「先生、目が見えるようになりたいのです」と言うと、イエスは言います。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と。信じて歩いて行け、と。すると、「盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」(マルコ10・52)とあります。「なお道を進まれる」っていうのは、直訳では「その道の中で」です。つまり、ただ私が道を歩いてくっていうんじゃなくて、道の中に私がいるんです。イエスに従うって言うのは、そういう感覚でしょう。道のほうが格上なんですね。私が道を利用してどこかへ行くみたいな「私中心」じゃなくて、道のほうが主で、その道を私は歩かされている。導かれて行く。道を信頼していれば、いつかは着くわけですし、むしろ道を歩いていること自体が目的ですから、「その道の中」にいればいいんです。つまづくことも転ぶこともあるかもしれないけど、そんなことはどうでもよくて、ともかく照る日、降る日、一歩また一歩、その道を歩いていけばいいんですよ。逆に言えば、そういう道がないっていうのが一番つらいというか、むなしいというか。私たちは、「私は道だ」(cf.ヨハネ14・6)っていうイエスの宣言に信頼して、歩んでまいります。道を照らす曙の光を仰ぎながら。
 「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言われて、盲人はすぐ見えるようになり、イエスに従ったわけですけど、見えるようになって「あ、見えた!」というとき、彼が最初に見たものは何ですか。イエスさまなんですよね。行くべき道が見えたんです。そのイエスの道の中を歩んで行きます。

 昨日、チャリティーコンサートに行ってまいりました。上野教会に住んでいるスリランカ人の難民を支援するための、ピアノのチャリティーコンサートです。ピアニストは、彼が中学生の頃から私はよく知っている、親しい友人でもあります。実はその彼も、反田恭平を思わせる天才なんですね。若い頃から日本一になって、海外のコンクールでも賞を取り、パリのコンセルヴァトワールに留学して、ショパンコンクールを目指してたわけですから。ただ、彼は留学中に心の病を発症して帰国し、以来、様々な困難を克服しながら魂のピアノを弾き続けているという人生です。その彼が、難民のために一肌脱いで、チャリティーコンサートで弾いてくれたというわけです。
 もちろん素晴らしい演奏だったんだけれども、それはただの素晴らしさじゃなかった。私は彼の苦難の人生を知ってますから、十字架を背負いながらなおも弾き続けるその姿に感動せざるを得なかった。苦難を背負いながら、なおも弾き続け、だからこそ難民の苦難にも心を寄せる彼の思い。彼の人生も大変だったんですよ。ほんとに苦しかった。今でも混乱して落ち込むこともある。そんな彼を、電話で、メールで、直接会って、すでに30年以上励まして支え続けてきました。そんな仲ですから、彼が目の前でショパンのソナタ第3番を弾いてるのを見ると、色んな思いがあふれてきちゃうんですよ。もちろん、曲が素晴らしいってのもありますけど、ついついね、病気のことさえなければ、それこそショパンコンクールで「初の日本人優勝者」になっていたかもしれない、とか思っちゃったり。
 だけど、神さまのなさることは素晴らしい。仮に優勝してたら、今頃世界を飛び回っていて、この上野教会の難民支援のコンサートはなかっただろうなとも思うし。「これでいいんだよね」「これがいいんだよね」って、私、昨日はね、すごく思いました。これが、彼の道なんです。彼は、ステージの上でも言ってましたけど、みんなの幸せのために、キリスト者としての信仰をもって弾いているんですね。一般客もいる前で、臆することなく神の愛の話をするのが私はほんとにうれしかったし、精一杯生きてきたその苦難の道は祝福されていると思うし、いつの日か神さまが、この世のコンクールの順位をはるかに超えた一等賞をちゃんと下さるよって思いました。
 コンサートでは、最後にムソルグスキーの「展覧会の絵」を弾いたんですけど、ご存じですか? 展覧会の絵を観てまわるっていう、組曲です。ムソルグスキーが友人の展覧会を観て感動して、ほんの数週間で曲にしちゃったっていう。一曲目が「プロムナード」っていう清らかで気品のある曲で、これが、展覧会全体の気高さを表しています。そして、楽しい絵、暗い絵、荘厳な絵、それを一つひとつ、曲で表すわけです。その絵と絵の間に、また最初の「プロムナード」のテーマが入ってきて、すべてを包み込むかのように、曲から曲へとつないでいく。
 ただですね、この展覧会、ムソルグスキーの友人の遺作展なんです。作曲家の、亡くなった親友の画家の、人生の旅路を表す展覧会でもあるんですね。一曲、一曲が、画家のそのときどきの人生の様々な局面になっているわけです。子どもたちが遊んでる絵とか、市場の絵とか、苦難を背負う人々の絵とか。その様々な日々を「プロムナード」っていう、言うなれば「人生の道を歩き続けることの尊さ」を表す希望の曲がしっかりつないで、支えて、導いて、最後の「キエフの大門」っていう、荘厳で感動的な曲に導いていく。
 「キエフの大門」。大好きな曲ですけど、壮麗で、あれはまさに天国の門です。コンサートの前に、私はその彼に「ちゃんと門を開いてよ」って言ってあったんですけど、開きましたよ。その門の先はまだ誰も見たことのない栄光の世界が待っているわけですけども、苦難を背負ったピアニストが、それでも歩き続け、我々の前で天国の門を開いてくれましたよ。すべての道は天に通ず。キリスト道、一緒に歩いて行きましょうね。


2021年10月24日録音/2021年12月24日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英