年間第28主日
カトリック上野教会
第一朗読:知恵の書(知恵7・7-11)
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ4・12-13)
福音朗読:マルコによる福音(マルコ10・17-30)
ー 晴佐久神父様 説教 ー
上野の双子パンダの名前が決まったって言うんで、嬉しくなりました。映像見ても、ホントに可愛いですねえ、いつまでも見てられる。これがまた、お二人ですからね。(笑) 絡み合って、乗っかって、転げ落ちて、舐めて、齧って。じゃれあってるその姿見てるだけで幸せになる。あれ、いつ公開なんですかねえ。前のシャンシャンの時も私、すぐにお会いしに参りましたけど。あの時、業務連絡したの覚えてますか? ご高齢で長い行列に並ぶのがつらい方は、前の日にでも入場券買っておけば、当日朝イチにすぐ入れますよ。上野に住んでる我々の特権です。ともかくもこのたび、お二人の名前が決まりました。レイレイとシャオシャオ。これ、報道だと必ず「シャオシャオとレイレイ」っていうふうに、オスの名前を先に言いますけど、この時代に何だか変ですよね。ここでは「レイレイとシャオシャオ」と呼ぶ事にいたしましょう。女の子の方がレイレイでね、男の子の方がシャオシャオなんですけど、私はもう、この名前が大好きです! 素晴らしい。漢字だと、レイレイは蕾蕾って書くんです。シャオシャオは暁暁って書くんです。蕾(つぼみ)っていうのは、これから咲くんです。まさに神の国の事でしょ? 暁(あかつき)っていうのはこれから陽が昇るんです。まさに神の国の事でしょ? 神の国っていうのは、「本番はこれからなのに、すでに始まっちゃってる」っていう状態なんですね。確かにここに蕾はあるし、確かに空はもう暁。枯れた枝じゃない。真っ暗な夜じゃない。蕾はもうほころんでいるし、暁の空はもう明るんでいる。だから、あとはワクワクしながら待つばかり。そこに、希望があります。希望の宗教であるキリスト教の本質を思わせる、神の国の喜びを秘めた名前のレイレイちゃんとシャオシャオ君が元気に育って、やがてお会いできる日を楽しみにしております。私の妄想では、上野動物園から上野教会に依頼があるんです。このお二人に幼児洗礼授けてくださいって。(笑)で、私がお二人に水をかけて、洗礼名は兄弟ってことでマルタとラザロ。ともかく、お互いに仲良しで、無邪気なお二人に、早くお会いしたい。汚れのない聖人のようなお二人に、たくさん希望を分けてもらいましょう。
なにしろ人間の世界は欲得だらけで、あまりにも希望がないですからねえ。今日もイエスさま、神の国の話してますけれど、確かに神の国はやがて蕾が花開くように、あるいは暁が明け染めるようにやってくるんだけれども、それまでの間はまだまだ相当厳しい人間界の現実が続くわけですね。神の国ってね、今は目に見えない天国でもあると同時に、この世の目に見える神の国でもあるんで、どちらかだけってわけにいかない。やがて天国に入るんだからこの世のことはどうでもいいってわけにいかないし、この世だけなんとかすればそれでいいってもんでもない。両方目指さなきゃいけない。神の国はもう現実に来始めているし、その神の国にいっそう目覚めていくプロセスとしての、この世です。目に見えるこの世をいっそう神の国に変えていくお手伝いをする事こそが、目には見えない永遠なる天の国に還っていく私達の使命だってことです。使命っていうか、それこそが生きる楽しみなんですね。困難な世の中を、みんなが幸いに生きる神の国に変えていくこと、それが、永遠なる神の国の現れであると信じること。
神さまのお創りになった神の国は、すでにちゃんとここにあります。それが花開き、明るい日が昇る時を待ち続けますし、私達もなにかちょっと工夫して協力します。ちょっとの協力でいいんです。具体的に言えば、私たちがお互いに、信じて祈って分かち合って助け合って、神の国の喜びを共にすること。そのための人生、そのためのプロセスを戴いてるんだから、それちゃんとやらないと、生きていることにならない。それをやらないでいるなら、じゃああなたは何のために生きてるんですか? と私は訊きたい。神の国に向って共に助け合って生きる以外に、生きる意味なんてあるはずがない。
「永遠の命を受け継ぐために、何をしたらいいですか」って訊いているこの青年に、イエスは優しく語りかけます。「君も必ず永遠の命に入れるよ。だけどまずは、みんなに永遠の命を与えてくださる神の愛を本当に信じること。その希望さえあれば他に何もいらなくなるし、君もこの世のものをみんなと分かち合って生きていく、喜びの道を歩みだせる。その道を、私たちと一緒に歩んでいこう。神の国は、みんなで入るんだ。『何をしたら』って言うけど、自分で努力して何かして、自分ひとりで永遠の命を受け継ぐことなんてできない。みんなで分かち合えば、もうそこが永遠の命あふれる神の国だよ」と、そんな思いで語りかけます。でも、この青年は悲しみながら立ち去っちゃいました。分かち合うってことが分からないんですね。そういう教育を受けてないし、「自分のもの」にこだわり過ぎてるのかもしれない。身軽っていいですね、そういう意味では。失うものがなければ、もうあとは頂いた恵みすべてを分かち合えますから。
新しい総理大臣が選ばれて、「新しい資本主義」とか言い出してますけど、何の事だかよくわからない。どうやって本当に苦しんでる人を具体的に助けようとしているのかが、分からない。今、特に若い子たちの多くが、先行きが見えなくて不安で苦しい現実を生きています。日本の若い子たちは大人しくて我慢強いですから、文句も言わずに耐えて耐えて、しまいに自ら命を絶ったりしています。そんな若い子たちの声を直接聞く機会の多い私のような神父の所には、悲鳴が聞こえてきますし、放っておけずに支えたり援助したりする事が日を追って増えてきました。何かあっても保障もなく、人間関係も希薄で、いざ身体壊しましたとか仕事先が潰れましたとかっていうと、もうその先何もなくなっちゃうんですよ。今の10代20代で、この国の未来に希望を持っている人なんてほとんどいませんよ。各国のアンケート見ると、日本が最低なんですよね、「未来は良くなっていくと思うか」っていう質問すると。20年後の2040年には、年金受給者が全国民の3分の1になりますけど、新しい総理大臣は「分配失くして成長なし」って言う。分配しますって言ったってないモノは配れないんだから借金するしかないわけで、今の若い子たちの将来を保障する事なんて、この世界一の借金王国にできるんですかね。
実際に、文藝春秋の11月号で、財務省の事務次官が緊急寄稿してました。「政治家たちのバラマキ政策は非現実的だ」と。事務方のトップが政権の政策に異議申し立てるなんてそれこそ緊急事態ですけど、「そんなバラマキ不可能だ」って、まあ財務省はそう言うでしょう。まして、消費税引き下げなんてとんでもないと。まあ腹に据えかねて言ったんでしょう、これじゃもう国家破綻ですよって。それも、一理ある。しかし現実に、目の前には、生きる希望を失って自殺していく若い人たちが増えているんです。バラマキでもなんでも、ともかく緊急に何とかしなきゃならない人たち。彼らはまあ、大体同じ事を言いますよ。「環境に恵まれず学歴もなく、まともな仕事にもつけず、どうせ将来は年金ももらえない。何とか非正規で働いてたのに、コロナで簡単に解雇。これで病気になったら生活も成り立たない。そのうち高齢化した親の介護もしなきゃならない。このままじゃ結婚もできないし、子育てなんて夢のまた夢。やがては自分もホームレスになってるかもしれない。こんな不安な人生を、この後何十年も続けていく気力も失せた。死んだほうがマシだ」。普通にそう思ってる人、身の回りにいくらでもいますよ。人生100年っていうけど、あと80年、どうやってこの残酷な社会を生きていけばいいのって。「分配できません、あきらめてください」って言われているに等しいこの社会で、もはや出口なしって思い込まされている、これが現実です。
だけど私は、出口はあるって言いたい。イエスの言ってる事を聞いてくれって言いたい。イエスはなんて言ってますか。借金しろとも、あきらめろとも言ってません。「みんなで持ってるものを出せ」って言ってんですよ。非常にシンプルです。あなたの持ってるものを出しなさいと。みんなが出し合って分かち合えば、すべて解決します、と。神の国はそこに現れます、と。あなたがそう思えばそうなる、そんなあなたの思いの中にもう神の国は来ていますよ、と。
そんな事言ったって、この経済社会のただなかで、だれもが自分の権利、既得権益にしがみついて、1円だって譲れない、ちょっとでも損したら訴訟騒ぎみたいな世の中で、そんなの非現実的でしょうって言うとしたら、私は違うと思う。だって、今のこの、暴力映画のワンシーンみたいな社会の方が、よほどファンタジーでしょう。むしろ、イエスの言葉こそが現実的だし、それを現実社会で実行していたし、みんなでこれをやって行けば間違いなくみんなが幸いに暮らす神の国が実現するよ、だからいまここから始めていこうよって言ってるんです。みんなで出し合えば、そこにこそ本当の意味での「永遠の命」を生きる喜び、共に生きる分かち合いの感動、目に見える神の国が到来するから、「まあいいから、やってごらんなさい、絶対にやってよかったって思うから」って。
で、ペトロなんかは、「私はそれをやってきました!」ってね、全部捨ててあなたについて来ましたって胸張ってますけど、そこでイエスさまはとっても興味深いことを言ってます。そうやって自分だけの所有から解き放たれて、みんなと分かち合う人生を生き始めると、「この世でも100倍受ける」って言ってるんです。「この世で我慢すれば天国で一杯報酬がありますよ」って言ってるんじゃない。もちろん来るべき国では永遠の命っていう大いなる喜びが待ってるんだけど、それ以前に「この世でも100倍受ける」んだと。いいじゃないですか、この世で1000円出したら10万円になると。いやいや、そんなケチな話じゃない、だれかと1000円を分かち合ったら、10万円どころじゃない、神の国の無限の喜びが与えられる、ちゃんと世界はそういう仕組みにできてるから、いいからやってごらんなさいっていう事なんですよね。
第一朗読で、「知恵に比べれば富も無に等しい」って知恵の書が言ってますでしょう、「どんな宝石も知恵には勝らない。知恵の前では金も砂粒に過ぎない。銀も泥に等しい。健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛した」って。この知恵って何ですか。まさしくキリストの知恵、すなわち全員で神の国を喜んで味わうための知恵ですね。分かち合い、共有し、共に喜ぶこと。それこそが、金だの銀だのを独占するよりも遥かに尊く、価値あるものだっていう、そういう知恵。「私は祈った。すると悟りが与えられる。願うと知恵の霊が訪れた」と。これは、願うべきでしょう。やっぱりねえ、真理を悟らずに、「これが一番大事だよ」ってだまされて、ゴミみたいなものにしがみついているっていうのは、悲しいっていうより、私にはちょっとした恐怖ですね。ほんとの喜びを知らされずに、まがいものをつかまされて、これが幸せってもんだって思い込まされてるのって、最大の恐怖ですね。そういえば、集会祈願に、いい言葉がありました。「私達の心を福音の光で照らし、目先のものへの執着から解き放って下さい」。
いやまあ、ほんとにね、私たち、「目先のものへの執着」って、山のようにありますから。「そんな綺麗事言ってられないよ」、みたいな執着だらけですけど、だからこそ、「知恵」が必要だと、私自身はそう思って、ずうっと知恵を願い続けてきました。知らぬ間に、執着に支配されてることばっかりでしたから。それで、福音に触れ、本を読み、いろんな活動をし、社会の現実を学んで、「最も賢い知恵」をずうっと祈り求めてきましたけど、結局は、非常にシンプルなイエスの知恵を置いてほかにありませんでした。すなわち、「持ってるものを、分かち合う」。それだけです。こんなシンプルな知恵で、世界が救われていく。今の若い人たちのうちに新しい希望が生まれていく。それが、キリスト教です。
もうすぐ衆院選ですけど、今の日本に必要なのは、そういう意味では、本当に分かち合うことを推し進めるような、福音を語る政党「福音党」みたいなのが必要だってついつい思っちゃいます。やっぱり神の国を求めて、だれかがきっちりそういう事を言い続けていくべきじゃないですかねえ。綺麗事に聞こえても、本当に未来のある提言、みんながそれを信じて持ってるものを出し合うようになる政策を語ってくれないもんですかねえ。「金持ちが神の国に入るのはらくだが針の穴を通るよりも難しい」ってイエスさま言ってますけれど、「それでは誰が救われるのか」って弟子達が言ったらイエスさまが、でも「神にはできる。神には何でもできる」。つまり、できそうにない事でも神さまが人間を動かして、結び合わせて、世界を神の国に変えていく事ができる、と。その意味では、実は「金持ちもっと出せよ」じゃなくて、私たち一人ひとりが出し合う、それが神のみ心なんでしょうね。
数日前にフランスとZOOM会議をして、ようやく来年のコンサートの日程が決まりました。1月8日14時、紀尾井ホールで大村博美のコンサートをいたします。ぜひ空けておいて下さい。彼女は私の親しい友人ですけれども、誰もが認める世界の歌姫です。今日本でトップのソプラノですし、蝶々夫人歌わせたら右に出る者がないってことで、世界中のオペラハウスからのオファーが引きも切らない。その蝶々夫人の「ある晴れた日に」も歌いますよ。お聴き逃しなく。来年の1月3日のNHKのニューイヤーオペラコンサートに出演するために日本に戻って来るんで、それに合わせて企画しました。これは、コロナ禍の生活困窮者支援のチャリティコンサートです。
ただですね、チャリティーと言っても、普通のチャリティとはちょっと違います。もちろん、そこで集まったお金を支援に使うわけですけど、支援を必要としているような当事者を招待して、聴いてもらうことを目指しています。だって、ほんとに素晴らしい歌声なんですよ。どんなに辛くても、あの声を最高のホールで聴くだけで感動して励まされるし、ああ生きてるって素晴らしいなって、生きる元気を取り戻してもらいたいんです。それこそ、神の国の喜びを純粋に味わえるようなコンサートを作って、みんなに聴いてもらいたい。
という事で、生活困窮している人はご招待、といたしました。ま、一般の方には4000円のチケットを買って頂きたいんですけども、生活保護を受けている人、障がい者手帳を持っている人、路上生活者、心の病で苦しんでいる人、技能実習生、難民、元受刑者などなど、ご招待です。そういう人、とてもじゃないけどコンサートどころじゃないですから。でも、芸術には力がありますし、歌は人を励まします。アヴェ・マリアはもちろん、フォーレのレクイエムのピエ・イエズスとかね、美しい。祈りの歌で、神さまは本当にあなたたちのことを愛していますよってことを感じてもらいたい。有名なミュージカルナンバーも歌います。ウエストサイドストーリーのデュエットとか、これまた私の友人の山本耕平というテナーと二重唱をやります。それから、アナと雪の女王のLet It Goをフランス語で歌ってくれるんですけど、これは聞き逃せないですよ。もちろん、珠玉のオペラ・アリアも歌います。アンコール曲は秘密にしておきましょう。ともかく、素晴らしい。人の歌声ってこんなに素晴らしいんだ、そんな恵みを与えた神は、こんな風に人々を感動で結び合わせていくんだ、どんなに辛くても、希望を失いかけても、こんなふうにみんなで祈りあって、助け合っていけるんだっていう、「神の国の目に見えるしるし」を実現させたいんです。ネットのチケットぴあで、1月8日、大村博美チャリティーコンサートと検索すれば購入できますので、ぜひともみなさんの協力をお願いいたします。
「持ってるものを分かち合う」。そこに神の国が到来します。みんなで、ささやかでも、できる事をちょっとずつやっていきましょう。我々はまだ蕾です。これからどんな花が咲くんでしょう。この世界はまだ暁です。これからどんな朝が来るんだろう。そんな希望だけは、絶対なくしたくない。
2021年10月10日録音/2021年11月11日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英