福音の丘
                         

受けた恩を恩送り

年間第19主日
カトリック上野教会
第一朗読:列王記(列王記上19・4‐8
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ4・30~5・2)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ6・41-51)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 いよいよ今日でオリンピックも終り。なんだか落ち着かない日々でした。毎日毎日、コロナのニュースの後オリンピックのニュース、でまた速報で感染者が何人になった、でまた速報で金メダルって、ほとんどパラレルワールドを生きてるみたいでしたけれども。まあ、やって良かったんだか悪かったんだか、これはもう答えはないでしょう。良かった面もあれば、悪かった面もあると。ただ、そうは言っても平和の祭典ですからね。4年に1度なんだし、なんとか工夫しながら平和のお祭りを本気でやってみましたっていうのは、立派だったと思いますよ。純粋な気持ちで頑張った人達がいるわけですし。アスリートはもちろん、支えてきた大勢の人達に、やっぱり敬意は持ちたいと思います。この状況の中で、代々受け継いできた平和の祭典の炎を消すことなく、ともあれ無事に終えました。
 この、「受け継いできた尊い価値を形にし続ける」っていうのは、実はとてもカトリック的な事でもあるんですね。ミサなんか文字通りの平和の祭典ですけど、これはまさに二千年受け継いできたものです。この灯を消してはならないと、長い長い歴史の中で多くの信者たちが守り抜いてきました。今回また感染者が増えているということで、大司教さまも皆さんに発信しておられますが、ともかく感染しないように気をつけてくれと。それは、やはりミサを守りたいからなんですね。また去年のようにミサを中止にしなきゃならないのは、何とも忍びないという、責任者の悲痛な思いがあるわけですよ。
 そんな思いで二千年やって来たんですね、教会は。これはもう、「今年でミサは終了です」なんて事はあり得ないし、今後二千年経っても同じようにやってるでしょう。まあ、形は少しは変わってるかもしれませんけど、間違いなくやってます。クリスチャン最後の一人が滅びるまで、ミサは続きます。すごいことですよね。だから、それを受け継いだ者として、ちゃんと守るっていうのは使命だし、そのためにも今日、私達は集められている。自分のためだけじゃなく、二千年後の人のためにも集まってるんです。それこそは、ただ有難く受け取るだけじゃなく、それを今度は受け渡していく側になるっていう、教会の大いなる流れの中を生きてるってことじゃないですか。

 今日は、ルドールズ神父さまの追悼のミサを捧げています。この聖堂をお建てになって、上野教会で32年間主任司祭を務めました。私たち、いっぱい戴いたわけです。だけど、「有難うございます、確かに受け取りました」じゃ、ダメなんです。今度はそれを次の世代にどうやって受け渡していくのか、そこのところを、ルドールズ神父さまも期待しておられると思いますよ。ここにいる皆さん、どれだけお世話になったことか。恩人なんてレベルじゃないはず。「これだけ受けたんだから、私もせめてこれくらいはやらなくっちゃ」っていう思いがないと、おかしいでしょう。もちろん、大元の恩人はイエスですよ。ただ、そこから始まったご恩を戴いた者として、次の世代に奉仕し続けた人たちがいるんです。これはでも、「恩返し」って言うのともちょっと違う。恩は、元に返しちゃいけない。あえて言えば「恩送り」なんです。戴いた恩を、次の世代に送っていく、次の世界に流していくという。
 懐かしいね、ルドールズ神父さま。司祭集会にもよく来られてました。あの独特の優しい笑顔ね、口角がピュッて上がっていて。眉毛が個性的で。お懐かしい。あの年、2015年の8月は、ルドールズ神父さまが亡くなった2週間後にルイ神父さんも亡くなって、パリミッションはしょんぼりしてました。日本の教会は、特に東京の教会は、パリミッションには本当にお世話になってるんですよ。こうして今日だって、台風のさなかに頑丈な建物の中でミサをしておりますけれど、パリミッションの御恩は計り知れないっていう事ですよね。
 パリミッションの本部に、行った事ある方いますか? パリの不思議のメダイ教会のすぐ近くです。パリの日本人教会の方たちが、そこで小聖堂やホールをお借りしてお世話になってました。或る時マイエ神父さんが神学生時代のお部屋を見せてもらったことがあります。マイエ神父さんは、高円寺教会の初代主任です。その時は私も高円寺の主任だったんでお部屋を見せていただいたんですけど、「ああ、ここから日本に来られたのか」って、感無量でした。ルドールズ神父さまも神学生時代、あの本部で、どんな思いで準備していたんでしょう。パリ外国宣教会。世界に名だたる宣教会です。このパリミッションのお陰で、どれほど全世界で多くの教会が建ち、信者達が集められ、試練や迫害の歴史の中で、どれほど多くの人たちが救われてきたか。
 ルドールズ神父さまが亡くなられた時の、教会報の追悼号に生前の神父さまが書かれた、宣教への思いが載ってました。
「私達宣教師は、何故遠い処へ出かけて行くのか。言葉も分からない、時には迫害に遭うような危険なところへ、何故わざわざ出かけて行くのか。それは、福音の種蒔きのためだ。その種が芽吹くのかどうか、どのように育っていくのかは自分には分からないし、分からなくてもいい。蒔いたらあとは神さまにお任せするだけ。しかし、誰かが蒔かなきゃならないのだから、私は蒔きに出かけた」と。
 それはもう、二度と家族にも会えないかもしれないし、死の覚悟をして行くんだとまで書いてましたよ。その本気さに、やっぱり出会った人も打たれるんですよね。「あ、この人本気だ」って。それは、伝わるんです。中身がどうこう以前に、「ここまでするあなたが信じている神なら信じましょう」って、そういうことですよ。私の母だって、そう言ってました。札幌の円山教会で、アウグスチノ神父さんから洗礼を受けたんですけど、日本語もよく分からなかったし、家族からも猛反対されたんだけれども、洗礼を受けた。なぜなら、「神父さまの目を見て、この人は嘘は言わないと思ったからだ」と、そう言ってましたよ。この人は嘘を言わない。だから信じます。これが、キリスト教が広がる最先端で起こってるリアルなんです。
 もちろん、伝える中身は大切ですよ。ルドールズ神父さまも聖書100週間を始め、様々な工夫を重ねてお働きになって、おかげで神さまの愛を知りました、キリストの教えを知りましたって言う人も、現にここにおられるでしょう。それはいいんだけれども、実はその中身を知る以前に、福音を何とか知らせたいと思う、一人のキリスト者、宣教師の熱意があるわけですよね。言葉の問題とか、健康問題とか、様々な限界を抱えながらも、たとえひと粒でもみ言葉の種を蒔きたいという熱意があって、その熱意が実を結ぶんじゃないですか。
 かつての宣教師は船で日本にやってきたわけですけど、「故郷の家族は、宇宙船に乗り込む宇宙飛行士を見送るかのようだった」って書いてありました。そりゃあ不安で心配だったでしょうね。当時は地球の裏側に行ったら、簡単には帰って来れませんし、二十世紀は激動の時代でしたからね。戦争に巻き込まれるかもしれないし、迫害に遭うかもしれない。それでも、自分が受けた素晴らしいみ言葉を何とか人々にも伝えたいという、この熱意。何とか福音のみことばを、神さまの愛を、キリストのからだを、人々に伝えたい、渡したい。そのミッションですよ、それこそはキリスト教の本質です。イエスの教えの基本です。「私は、あなた達にこの福音を渡す。あなた達はそれを持って出かけ、全世界に渡しに行け」、という。お世話になった上野教会の皆さんも、頂いたその恵みを次にどのように広めていくか。それは、宣教師だけではなく、すべての信徒に託されたミッションだという事です。

 今日読まれた聖書も、まさにその宣教の話じゃないですか(cf.列王記上19・4‐8)。エリヤは神に遣わされて行くわけですけども、殺されそうになって逃げて逃げて、辛くて辛くてもうこれ以上は無理だ、ここでもう死なせてくれって神に祈るんですね。するとみ使いが現れてエリヤに触れ、「起きて食べなさい」と言う。起きると枕元にパンと水が置いてある。で、そのパンを食べ、水を飲むと、「さあ出発しろ」と促されます。エリヤは気を取り直し、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに到着するわけです。これこそ、人生の旅路ってやつでしょう。神さまが旅立たせ、「この旅は長く、あなたには耐えがたい」とか言いながらも、必要な恵みは全部与えているっていう、恵みとしての旅路です。
 追悼号には、ルドールズ神父さんがよくおっしゃってた事が紹介されてましたけど、それによると「人生は旅だ」、「人間は皆旅人だ」と。そして「本当の国籍は天にある」と。人生の旅路は天のみ国に向ってる、だから一日一日が尊いっていう事ですよね。目的地も知らずにただうろうろして、それこそ「辛いからもうここで死なせてくれ」って言ってるだけじゃ、もったいない。最後には天のみ国にたどり着くという、最高の人生を神さまは与えてくれてるんだから。
 神父さまも、それこそパリから出発したときは、当初は中国に宣教に行ったんですよ。だけど迫害を受けて、日本に逃げてきた。一生懸命中国語覚えたのに、今度は日本語を覚えるっていう、ほんとにご苦労様ですけども、そんな彼の人生の、その旅路。それは半端なものじゃなかったでしょう。苦難の連続だったでしょう。しかし、彼は信じていたんです。「人生は、旅だ。私たちは、旅人だ。旅というからには、目的地がある。それは、本当の国籍である天国だ。どれほどの困難があっても、そこに向って歩み続けているんだ」という、彼のその信仰が彼を支えていたんじゃないですか。
 エリヤも、ついに神の山ホレブに着いたとありますが、我々もいつの日かたどり着くべき本国があるわけですね。オリンピックでは大勢の人が色んな国から集まりましたけども、ミサという平和の祭典では、この世の国籍は関係ない。全く、関係ない。全員神の子として、神の国の国民として、「本国」に迎え入れられます。そこでルドールズ神父さんとも、より普遍的なありかたでお会いするわけです。そのときには、色々と有難うございましたってお礼言ったらいいでしょうけども、仮にそこで神父さんから、「どうでしたか、人生の旅路は。私が皆さんに託した信仰の恵みを、あなたは誰に渡してくれましたか」って訊かれたら、皆さんは何て答えるんですか。
 私たちは、いただいた人生の旅路を、神に守られてというか、キリストの身体に養われてというか、ルドールズ神父さんの取次ぎによってというか、ともかくも感謝の内に歩んで行くわけです。それは、「恩送り」なんです。今日のパウロの手紙にもはっきりと書かれてました。(cf.エフェソ4・30~5・2)神が赦してくれたんだから、あなたも赦せと。神がご自分の愛を与えてくれたんだし、キリストが私達を愛してくれたんだし、それも自分の命を捧げてくれたんだから、あなた達も愛し合ってこの旅路を歩みなさいって言ってるわけですよね。赦してもらったんだから赦せよと。愛してもらったんだから愛しなさいと。「自分は赦してもらいました、どうも有難う、以上」。これじゃあキリスト教じゃないです。「私は愛してもらえました、ああよかった、幸せです」。これじゃキリスト教じゃないんですよ。赦してもらったんだから赦しなさい。愛していただいたんだから愛しなさい。ルドールズ神父さんがどれほど苦労なさったか。この建物を建てるために、フランス各地の方々からの寄付を集めてくださった。そうして建ったこの聖堂、設計デザインが斬新ですよね。コンクリートの大きな箱の中を斜めに使って、公会議より前なのに、もう信徒が祭壇を囲む形にしてるんです。まあ、当時はお若い神父さんだったってのもあるんでしょうけど、新しい夢や愛を感じる聖堂です。当時の献堂式に侍者やった方がここにおられますけど、この建物を誇りに思ったでしょう。そのことは、今はコロナ対策で開け放している、あの天井近くの高い窓を台風のたびに脚立をかけて閉め、台風過ぎたら開けるという大変な作業をしておられるのを見るとよくわかります。そうしてみんなで守ってきたこの恵みを、さて次の時代にどのように受け継いでいくのかっていう事を、ほんとに真剣に考える時が来ているんじゃないですか。これほど大きく時代が変わっている中ですから。

 オリンピックの、新国立競技場を設計したのは隈研吾っていう有名な、私の大好きな建築家です。最初の計画案が、あまりにも金がかかりすぎるし、メンテナンスも大変だってことで、コンペをやり直して、今世界中で大人気の隈研吾の案が選ばれました。お陰様でね、地球環境に開かれた、素晴らしい競技場が出来上がって、私大好きですけれども。大きな競技場を小さな木材の集合体としてデザインして、とても有機的で。持続可能ないのちの建築ってことで、彼の思想がよく表れてます。今、国立近代美術館で「隈研吾展」やってますから、ぜひご覧になってください。私は先日、さっそく見学してきました。
 そこで彼の言葉が紹介されてるんですけど、「コロナ禍の最大の教訓は、ハコは危ないということである」っていうんですね。おっしゃる通り。だけど現代社会は、逆のことを主張してきたわけですよ。ハコの中で働くのが効率的で、合理的で、安全だって。だからぼくらはハコの中に閉じ込められて生きてきたんです。家と言う箱から、鉄の箱に詰め込まれて移動して、ビルと言う箱の中で働く。だけど、ほとんどすべての感染は、その箱の中で起こったじゃないですか。その点ですね、そもそも自然界にハコなんてないわけですよ。もっと開放的で、もっと様々な穴があり、もっと粒子的で、もっと柔らかく、もっと流れる時間を感じられる、そんな建築が人を幸せにするんじゃないか。コンクリートの箱の中に閉じこもってるだけじゃなくって、新しい時代の建築論も必要だし、それで言うなら新しい時代の教会論はもっと必要。現に、コロナで箱に集まれなくなってるんだから。
 ルドールズ神父さんの時代から50年過ぎました。世界は大きく変わっていきます。私たちは受け継いだこの立派な箱から、さて、どこに向かってどのように出かけて行けばいいのでしょう。この箱の外に向かって、僕達が受け継いできた信仰、新しい夢を広めていく、これはやっぱり時代の要請なんじゃないですか。隈研吾はネコに学べって言ってましたよ。人間の偉そうな視点ではなく、自然なネコの視点で見ろと。もっと姿勢を低くして、もっと細い道を、もっと柔軟に、もっと遊動して歩めと。狭い門から入りなさいってことです。受け継がれてきたキリストの道は、箱の中じゃわからない。
 今日イエスさまは、パンの話をしておりますけれども(cf.ヨハネ6・41-51)、言うまでもなく、ご自分の事ですね。神の愛、そのもののことです。「私のパンとは私の肉だ」とかって言ってますけど、自分の肉を食べさせるって最高の愛じゃないですか。自分の一番大事なものですから。余ってるものをどうぞっていうんじゃなくて、自分の一番大事な肉をどうぞっていう、愛。ミサは、それを分かち合って一緒に食べてるわけですね。ですから、ミサで一番思うべきことは、さあこの戴いた恵みを誰と分かち合おうか、この箱から出かけて行って、誰と交わって、どのようにして自分の愛を食べさせようかってことなんじゃないですか。イエスを食べるってことは、この、永遠に受け継がれていく大いなる愛の流れそのものになるってことです。だから、「私を食べる者は死なない」って言ってるんです。
 ルドールズ神父さんの追悼ミサにあたり、我々が神父さまから受けた恩を恩送りする、何か具体的なイメージを持たないなら、いくら追悼したって意味がない。戴いたものを、ただ「有難う、有難う」じゃあねえ。今度は、我々が「有難う」って言われる番にならないと。そのとき、誰が私達に感謝してくれるんでしょう。誰が私達と出会えたことを神さまに感謝する事になるんでしょう。
 「これを食べる者は死なない、その人は永遠に生きる」。さあ、そんなパンを頂きますよ。心の準備はよろしいですか。



2021年8月8日録音/2021年9月3日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英