福音の丘
                         

そんな世界を見てみたい

復活節第3主日
カトリック浅草教会

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録3・13-15、17-19)
第二朗読:使徒ヨハネの手紙(一ヨハネ2・1-5a)
福音朗読:ルカによる福音(ルカ24・35-48)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 復活の神秘、喜び、その希望についてお話しいたしましょう。みなさん、それぞれにいろいろ落ち込んだり、「もうだめだ」と思うことがあるかもしれませんが、それは、あなたがそう思っているだけ。ほんとうは、世界は素晴らしい。神のわざは素晴らしい。私たちのすべての闇は光に向かっています。つまり、すべてにおいて「復活」があるんだという、その希望を新たにいたしましょう。今、何か悩んでいることがありましたら、この美しいミサにおいて希望を新たにしていただきたい。
 あなたの中には、みなさんが思っているよりも圧倒的に、復活の力が秘められているんです。それを知らずに「私には無理だろう」とか、「私はここまでだ」とか思う、その思いによって「もうそこ止まり」になっちゃうんですね。そういう心のストッパーを外して、「私たちはもっと自由になれる」、「もっと素晴らしい世界をつくれるはずだ」、「必ずみんな、幸せになれるんだ」、そう信じてほしい。

 最近、アスリートたちに励まされています。松山くんなんか、マスターズで優勝しちゃいました。ビックリもするし、感動もするし、そして励まされます。彼がよく言ってるんですよ、「『マスターズでは日本人は優勝できない』って、みんな思い込んでるけど、そんなことはないってことを証明したい」って。
 確かに、「さすがの石川遼くんでも無理でしょう。松山くんだって、難しいでしょう。尾崎だって、青木だって届かなかった。日本人は体も小さいし、欧米のようなゴルフの伝統もないし、日本人はマスターズで優勝出来ないんじゃないか」って、やっぱりどこかみんな、思い込んでたんじゃないですか。「そんなはずはない」っていう気持ちと、「やっぱりそうは言っても、無理だろう」って思う気持ちの狭間で、ぼくらは揺れてるわけですね、何においても。で、結局は「無理でしょう」っていう思い込みに負けちゃう。そんなときに、アスリートたちが「いや、限界を超えることが出来るんだ」っていう、その可能性を見せてくれるのは、これはありがたい。日本人がマスターズ制覇、例のグリーンジャケットに袖とおして、日本に持ち帰るなんて、それが今や、「そうあったらいいな」の話じゃなく、やっちゃったんです。「なるほど。実現するもんなんだな。ってことは、私だってもっとやれるかも」とか、一人ひとりがそれぞれの限界を超える力になるんじゃないですか。
 そういうところ、スポーツって純粋で分かりやすいなあって思うんですよ。ゴルフなんか、こう言っちゃなんですけど、球を転がして、穴に入れるだけの話ですよね。それをあそこまで大きな大会にして、スーパースターが一堂に会して、四日間も球を打ち続けて、最後に一球でも少なく入れた人が勝ち、みたいなね。実際、松山くんも最後は一打差でした。よく考えてみたらちょっと滑稽ですよね、大の大人が球をころころ転がして穴に入れて泣いたり笑ったり。だけど、「そんなのどうだっていいじゃん!」って言うとしたら、それは違うと思う。人間って、そういう面白い生きものなんですよ。遊び心で変なこと始めて、純粋に競う。そして、「前の記録を超えていきたい」っていう、その思い。まさか10秒切らないだろうと思ったら、9秒8で走る人が出てくる。さらに9秒6で走る人が出てくる。「速く走って、何の得があるのか。球を転がして穴に入れて何の価値があるのか」って、そういうことじゃないんですよ。
 人間の中には、いつでも今を超えていく力が隠されていて、ぼくは、それは神から与えられているんだと思う。それがなかったら向上心もないし、何でも「これでいいや」になっちゃって、それじゃあ、なんのために生きてるのか。神が常に用意している、さらなるその先の世界を開いていく、そのために人は存在しているのではないか。昨日は出来なかったことに今日はチャレンジするとか、昨日までは諦めていた思いを今日は信じるとか、人に秘められているこの向上心こそは、神が人間に最も期待していることなんじゃないか。その力は、必ずみんな持ってるはずだし、もっと発揮するべきでしょう。アスリートたちは、それをすごく純粋に表してくれてると思う。
 おとといかな、羽生結弦もクルクル回ってましたけど、テレビの解説に驚愕しました。彼は頭を振る練習をしているんですって。試合前に、10分位頭を振っている、と。何やってると思いますか? 三半規管の耳石を揺らして、体の傾きの感覚を確認してるんですって。この感覚を練習で確認して、本番できちんと四回転で降りてくるわけです。・・・いやもう、その努力、その意地、そこまでやる人間のすごさ、これに私は励まされるし、まだまだ自分の中に、いろんな可能性が開かれていて、ちょっと勇気を出してチャレンジすればもっと素敵な自分になり、素敵な仲間になれるんじゃないのかなって思わされちゃいます。
 先週は上野でもお話ししたんですけど、池江璃花子なんか、まさに「復活」ですもんね。まさに十字架だったし、まさに復活だった。まさかオリンピックに出れるなんて誰も思ってなかったですよ。退院してから細い腕で腕立て伏せを始めて、最初にプールに入るときなんか、飛び込み台からこわくて飛び込めなくて、プールサイドから飛び込んだんですよ、日本一の記録を持っている人が。そこから一年で、オリンピックの代表になる。人に、そういうことが可能なんです。十字架を復活の栄光に変える力が、人の内に秘められているし、もっとぼくらは、神の国を信じて、毎日のように復活したらいいんですよ。

 今日の福音書ですけど、これ、弟子たちは「もうだめだ」と思ってんですね。イエスと一緒に自分たちも死んだと思っているし、このあと生きていても意味がないと思っているし、自分たちのせいでイエスを殺しちゃったとも思っているし、ともかく取り返しのつかない人生になっちゃって、ここからどうやったって出ることができないという、絶望の牢獄の中で、真っ暗闇で生きてたんですよ。そこへ、頼みもしないのに、イエスが現れたじゃないですか。『イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。』(ルカ24・36)それはもう、恐れおののいて、亡霊を見ているんだと思うのは当然でしょう。しかし、イエスは言う。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。」(ルカ24・38)
 ありえないって思うことが、実はありえる。疑っちゃいけない。これ、キリスト教の専売特許というか、おめでたい人たちというか、みんなが「もうだめだ」って言っているときに、我々クリスチャンは「いいや、だいじょうぶだ」と言い続けますし、自分の内の恐れのストッパーを外して、あらかじめ神さまから与えられていた種を花開かせるんです。それはもう、こんなにちっちゃい種でも、鳥が巣をつくるほどに大きな木になる。
 昨日もそこのエントランスで収録があって、上智の学生たちが来て、私の対談を収録しました。YouTubeにあがると思いますので見ていただきたいと思うんですけど、そこに居合わせた上智の学生たちに言ったんです。「できないと思うな」と。使徒言行録にあるように、みんなが持ってる物を出し合って、平等に分かち合って、貧しい人が一人もいなかったという、初期のキリスト者共同体についてお話ししてたんです。初めはそれが可能だったのに、だんだん教会が理想から離れて、今やこんなことになっちゃった。だから、言ったんです。「現代のように貧富の格差がこれほど広がった世の中を、持てるものを互いに出し合って、神からの恵みを平等に分かち合う世の中にしていかない限り、人類は滅んじゃう。そんなことは、もうみんなわかってる。わかっているのになぜ、できないか。それは、できないと思い込んでいるからだ。あなたたち、若い人たちがチャレンジして、富を共有するために、たとえば自分たちの間だけで通用する通貨でも発行しなさい」とかね、けしかけました。
 国家にすべてを委ねるんじゃなくて、自分たちで出し合って、助け合って、神の国のモデルをささやかでもつくっていく。みんなでそれをやっていく。それが「これはいいね」っていう大きなうねりになっていく。昔の共産革命でもなく、今の資本主義の限界でもなく、第三の道があるはずでしょう。「ありえない」と思っているかもしれないけれども、人のうちに秘められている、神さまからいただいた力を発揮するなら、必ずできる。ぼくもそんなビジョンを持って、できることはしてきたつもりです。「もうちょっとやってみよう。もうちょっと工夫してみよう」ってチャレンジを続けています。そんな世界を、見てみたいから。若いみなさんに、呼び掛けたい。今日もこうして延期された成人式のミサをしていますけれども、若いみなさんがチャレンジするなら、世界は復活していきますよ。「そんな世界を見てみたい」っていう好奇心と、「必ずそれができるんだ」っていう希望。神さまが与えてくださった、その力を無駄にするのはあまりにもったいない。

 先日、面白い雑誌を買いました。「るるぶ」ってご存じですか。JTBが出している旅行雑誌ですね。京都に行くの鎌倉に行くのっていうときに買って、「抹茶ソフトは、ここがおいしそうだ」とか、そういうの好きな人の必読書ですね。あれ、なんで「るるぶ」って言うかご存じですか? 知らないでしょう。「見る」「食べる」「遊ぶ」の最後の「る」と「る」と「ぶ」を結んで、「るるぶ」なんですって。
 人間はともかく、見たいんですよ。ともかく、食べたいんですよ、遊びたいんですよ。そういう好奇心って、本来は悪いことじゃない。だって、神が与えたんだから。ただ、その「見る」「食べる」「遊ぶ」をほんとに極めたいなら、商業雑誌に乗っかって、みんなで同じ抹茶ソフトをなめてるんじゃ、本当に見たり食べたりしたことにならないんですけどね。じゃあ、なんで「るるぶ」を買ったか。今、国内も海外も旅行できないんで、この手の雑誌が売れないんですよ。なので、まだ誰も行ったことのない新しい観光地を特集して、話題づくりをしようと。その特集号を、ついつい「面白そうだな」と思って買っちゃいました。
 まだ誰も行ったことのないその観光地、どこだと思います? ・・・宇宙です。あ~らビックリ、「るるぶ宇宙」。「るるぶ京都」や「るるぶパリ」みたいに、「るるぶ宇宙」っていうのがもう出てるんです。もちろん大真面目に出しているんですよ。「話題の注目ツアー」とか載ってるんだから。「グルメからスイーツまで、宇宙食アラカルト」とかって、おいしそうな写真まで並んでいて、いつもの「るるぶ」の特集と一緒。
 宇宙なんですよ。いやあ、感無量です。ついにそういう時代になったんだなぁって。「話題の注目プラン」のひとつの「月周回旅行プラン」なんかだと、もう、2023年に予定してるんですよね。実業家の前澤さんが購入済みのやつです。月周回ツアーですけど、ツアー日数は6日間で、1名様七百億円。(笑)前澤さん、恋人の剛力彩芽ちゃんを連れて行くつもりだったのに、彼女は「行きたくない」って言って、それで別れちゃったとかっていうニュースもありました。私、多摩教会でロケを引き受けたときに彩芽ちゃんとおしゃべりして以来のファンですけれど、これはでもぼくに言わせれば重要な出来事で、だって、ついに人類の中に、月に行こうって誘われて、「私は月に行きたくない」って断る人が現れたってことですから。多分、人類初なんじゃないですか、「月に行こう」ってリアルに誘われて、リアルに断った人って。大真面目に「あたし、月に行きたくない」。いやあ、長生きすると面白い時代を見れますねぇ。
 ちなみに、他のプランでもう少しお安いツアーもあって、日帰りで無重力を体験して戻ってくるやつだと、三千万円。果ては「木星の巨大オーロラ観測ツアー」なんていう妄想系まで載ってるんですけど、「るるぶ宇宙」をめくりながらつくづく思いました。人類って、ほんとに好奇心のかたまりというか、「見たい、行きたい」って、もうこれ、止められないんですね。ぼくはそれは別に悪徳でもわがままでもなく、やっぱり神が与えてくれた特質なんだと思う。「あそこまで行きたい」「その先を見てみたい」って、これ、縄文人だって、「あの山越えたい」とか、「あの島に渡りたい」とかやってたわけですから。人類の奥深くに、神が与えたその力。神はなぜそれを与えたと思いますか。言うまでもなく、その力によって、人類を「神の国」に向かわせるためです。だから、これはもう止めようがない。我々人類は、神の国を求めてやまないんです。どんな困難があっても、どんな災害の中でも、どんな疫病が流行っても、人類は、ほんとうに互いに助け合って、すべてを分かち合って、誰一人貧しい人、孤独な人が生まれないように支え合う、そんな夢の楽園、神の国を見たいと、求めてやまないんです。この美しい大自然と共生して、地球を傷つけることなく、人類がテクノロジーと愛情をもってつくりあげる地上の楽園。そこから永遠なる天上の神の国に向かうまで、我々は復活し続けるように定められているんです。そんな夢物語をイエスは語ったし、キリストの教会はそれを目指し続けています。「私たちの間、人と人の間にこそ神の国がある」と、イエスさま、言いました。愛情、労わり、ゆるす心、我々のうちに広がっているその宇宙は、月だ、木星だなんていう宇宙よりもはるかに広い。私たちはそこへ無料で飛び立つことができるし、そのように願われている。
 それを知らずに、この世の生を「無理だ、ダメだ」で終えていくなんて、もったいないじゃないですか。「ぼくには無理だ」「こんな自分にはできっこない」・・・って思ったら、そこまでなんでしょうね。信じて、今日からまた、新しいチャレンジをいたしましょう。出会った人に、ちょっとやさしくするだけでも大きな一歩だし、その先にどんな素晴らしい光景が、景色が待っているんだろうっていう、わくわくするような思いで、他者と関わり、仲間たちと励まし合い、復活節をやってまいりましょう。
 まだまだコロナ時代は続くようですけれども、コロナっていう十字架だって、復活の栄光に向かう必要な恵みなんです。こうして自粛しているような時間があるからこそ、チャレンジできるさまざまな可能性、チャンスが与えられているんじゃないですか。成人のお祝いのみなさん、二十歳、これからですよねぇ。うらやましい気がする。いっぱいチャレンジして、輝いてください。神にお出来にならないことはありません。今自分が思っている、イメージしている、どんな自分よりも輝く自分が待っていますよ。



2021年4月18日録音/2021年6月1日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英