福音の丘
                         

星はもう輝いています

主の降誕(日中)
カトリック浅草教会
第一朗読:イザヤの預言(イザヤ52・7-10
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ1・1-6)
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ1・1-5、9-14)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 

 みなさん、クリスマスおめでとうございます!
 お互いに、よくぞ二〇二〇年を生き延びたと。この困難な時代に、こうして共にクリスマスを祝うことができました。ここに集まった方も、家で祈っている方も、みこころによって今日を迎えました。これは、事実です。私たちがこうして、神から愛され、守られて今日を迎えているのは、私たちが永遠のいのちの世界に生まれ出ていくそのときまで、まだまだこの世界で与えられた使命を果たすように望まれている、ということです。
 ヨハネの福音書。格調高い、美しい福音書を、今、朗読いたしました。「イエス・キリストは光である」という、この美しい福音。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのだ」(ヨハネ1・9参照)という、この福音。闇の中に光はもう確かに輝きました。これは、事実です。「そうあったらいいな」という願望とか、「きっとそうだ」という確信とかいうような、いい加減なものじゃない。もう、事実そのもの、真理そのものです。どんな闇の中であっても、私たち「すべての人」にもうすでに与えられている、この光を信じる。これこそ、キリスト者の使命です。そこだけは、決して揺らいではいけません。
 もちろん、コロナ時代を生きていれば日々、恐れること悩むこと、不安なことがたくさんあります。昨日は、東京都の新規感染者数がまた最高値を更新したと。その上、新型ウイルスとか言ってたのに、新たにその変異種が現れたとか、さらにまた別の変異種も現れたとか、そんな話聞いてると、だんだん疲れてきてしまって、「いやもう、これ、だめなのかな」とか、「ほんとに救いの日は来るのかな」とか思いこんでしまうかもしれません。けれども、「こんなときこそのキリスト教」でしょう。私たちは、光を仰ぎ見ます。その光は、もう来たんだから。ちゃんと見ましょう。
 
 クリスマスの星、ご覧になりました? この前の日曜日に「ぜひ見ましょうよ」ってお話ししたはずですけど。見なかった? どうせ神父の言うことなんか、みんな聞きやしない(笑)。「見た」って人、いないの? (会衆の何人か、手を挙げる)ああ、ごらんになった方もいますね。ね、きれいに光ってましたでしょう? 日曜日にもお話ししましたけど、木星と土星が大接近して、一つの星のように光る。イエスさまがお生まれになったときに現れたクリスマスの星はそれだったって説があるんですけど、それが二〇二〇年一二月二一日と二二日に、また現われた。「これは見逃せない。絶対、見てやろう」と思って、一番高い所に登れば確実だろうっていうんで、生まれてはじめて、スカイツリーに登ってきました。まあ、行ってビックリ。塔も高いけど、値段も高い(笑)。だけど、登ってよかったです。ホントによく見えました。クリスマスの星。美しく光ってましたよ。
 特にね、スカイツリーから見た夜景がきれいですから。大東京の美しくキラキラ光る夜景の上に、燦然とクリスマスの星が輝いて。まるで、なんでしょう、苦しんでいる街を照らすかのように、導くかのように、光っておりました。まさしく「すべての人を照らす光」って感じ。望遠鏡もあったんで、さらに二百円出して(笑)見たんですけど、大きな木星と、リングで横長の土星が大接近して並んで光ってて。思わず手を合わせて、お祈りしました。十字切ってね。「みんなが幸せになりますように。病で苦しんでいる人が希望を新たにできますように。何よりも、この街を生きるすべての人のうちに、主イエスが生まれますように。特に、闇に閉ざされて苦しむ心に、希望の光が生まれますように」と。まごころこめて、お祈りしてまいりました。クリスマスの星のもとで、スカイツリーの上から街の平和を、すべての人の救いを祈るっていう、まあ、カトリック司祭の幸いな使命ですね。
 
 この大接近の映像は、YouTubeでご覧になれます。「木星と土星大接近」って検索すれば色々出てきますよ。「二〇二〇年の会合」ですね。プロの映像ですから鮮明だし、ともかく、望遠鏡のあの狭い画面の中に、両方の星がきっちり映っているってのが感動的です。木星の衛星って、大きいのが四つありますでしょ。イオから、エウロパ、ガニメデ、カリストまで。この四つが木星のすぐ近くを回っているわけですけど、四つの端から端までの距離があるじゃないですか。その距離の内側に、環っかつけた土星が光ってんですよ。もう、そんな映像、ないですって。きれいを通り越して、宇宙の神秘というか、神さまが何か語りかけているように感じるのは当然だと思う。
 二千年前にクリスマスの星が現れたとき、占星術の学者たちはそれを見て、東方から西に向かって旅に出た……今回も西の空ですけど、星に導かれて旅に出たわけですよね。「これは救い主の誕生のしるしだ、拝みに行こう」って、出発した。困難な旅だったと思いますよ、異国の地ですし。でもそれは間違いなく、希望に満ちた幸いな旅だったでしょうね。我々も今回、この星のもと、出発する時が来たんじゃないですか。
 出発と言っても、「Go To トラベル」の話じゃない。魂の話、信仰の話です。いつまでもそこにとどまってちゃいけない、そこから出発しようって話です。心の闇というか、不安というか、「もう無理だ、どうしようもないよ」なんていう思いにとどまってちゃいけない。立ち上がって、出発するんです。喜びに向かってね。そう、喜びに向かう。まさに博士たちは「その星を見て、喜びに溢れた」ってある。昨日の主の降誕の夜半のミサの朗読でも、天使が羊飼いたちに現れてね、「今日、あなたがたに大きな喜びを告げる」って言いました。(ルカ1・10参照)「あなたがたのために救い主がお生まれになった、会いに行きなさい」ってね。(ルカ1・11〜12参照)それで、羊飼いたちも喜びに溢れて、出発しました。
 まず、出発です。出かけないことには、喜びには辿り着けない。自粛して、じーっと閉じこもってちゃいけない。もちろん物理的にはステイホームですけど、ただ閉じこもって恐れているだけでは、決して真の喜びに辿り着けない。実際の旅の話じゃないですよ? 「Go To トラベル」ならぬ、「Go To Joy」、魂の旅路です。クリスマスの星から呼びかけられて、今こそ、勇気をもって、本物の喜びへと向かいましょう。
 実は、二千年前の占星術の学者たちのように、現代の占星術の人たちも、今回のクリスマスの星のことを色々言っていて、日曜にも少しお話ししましたけど、二〇二〇年の一二月二二日からは、世界の流れが大きく変わるんだそうです。この木星と土星の会合を「グレートコンジャンクション」って言うそうですけど、これは二〇年に一度起こっている。で、二百年に一度、「グレートミューテーション」っていうのもあって、それが二〇二〇年の一二月二二日だとか。それによると、今までは土の時代だったのが、今度は風の時代に移ると。土の時代はね、硬直していて、制度とかしくみとかに固められていて、物や富が中心。それが、風の時代にはより自由になって、物よりも心が中心になり、柔軟な人のつながりや多様性が大切になり、言葉とか、情報が大事になって、一人一人の個性が発揮できるような、そういう社会。時代は大きくそのように移っていく、と。どうなんでしょうね、信じるも信じないも、あなた次第っていうような話ではありますけど、でも、そうなったらいいなっていうのは、誰もが思うことでしょう。
 だけど、それで言うなら、イエスの誕生って、二〇年に一度だの二百年に一度だのをはるかに超えた、「歴史に一度」の、大いなる転換だったんですよ。神の独り子が人間のうちにお生まれになって、「もうだいじょうぶだ、世界がどれほど困難であっても、もうだいじょうぶだ」という希望を、神がはっきりと示してくれた。闇から光へ、物から心へ、囚われから自由へ、原理主義の旧約から普遍主義の新約へという、大転換。「グレート福音」ですよ。「グレートエヴァンジェリオン」。この決定的な時を、星がピカッと光って教えてくれているんです。苦しむ我々に、「もうだいじょうぶだ、救いは闇の中に光っている」と、教えてくれているんです。どうぞみなさん、YouTubeの映像見て励まされてください。私は昨日のイブの夜も、ホルストの『惑星』の「木星」と「土星」を聴きながら、ワインを飲みつつその映像をウルウルと眺めておりました。いつだって、私たちのうちに必要なのは、希望です。そして、その希望のしるしです。その希望のしるしである、イエス・キリストです。それは、もう私たちのうちにお生まれになりました。これは、事実です。願望や確信を超えた、当然の事実の話。
 
 おととい、岡田司教さまのご葬儀に参列いたしました。司祭団だけでの葬儀ミサでしたけども、これも日曜にお話したとおり、私は岡田神父さんの教会で一緒に暮らしながら、いろいろ学んでお世話になり、育てられた身です。のちに司教になってからは一司祭としてお仕えしたし、まあいろいろ迷惑をかけたこともあるんだけど、とてもやさしく対応してくださって、私にとってはかけがえのない司教さまでした。
 今年の一月ころに「うまく飲み込めない」とか言い始めて、「それは早く病院に行ったほうがいいよ」って言われて、行ってみたらもう食道がんが進んでいました。声帯取るのもつらいですから、手術ではなく抗がん剤と放射線治療をして、なんとかおさまりかけていたのに、先日急に亡くなりました。死因は出血性ショックってありましたけど、どういう状況だったのか。想像するのも痛ましいですけど、本人はどういう思いでそのときを迎えたのか。とてもおつらかっただろうなぁとも思います。このコロナ禍ですし、PCR検査しないで亡くなると、大きな袋に入れられて、みんなちゃんとしたお別れもできないまま火葬されて、一昨日のご葬儀はもう、お骨を囲んでのミサでありました。
 一目会いたかった、もう一度お話ししたかった、いろいろ申し上げたかったこともある。私にはちょっと切ない葬儀でしたが、それでも、菊地司教さんの暖かいお説教に救われました。お説教の中で、岡田司教さんのブログを紹介してくれたんです。亡くなる直前にもちゃんとアップしていたんですね。そこに、「喜び」について書いてあった、と。喜びって言っても、病気が治るとかいうような人間側の喜びじゃなくて、神から与えられる、聖なる喜び。それは、どれほど厳しい現実にあっても、喜べる喜びだ、と。

 帰ってからそのブログを読みました。確かに岡田司教さん、厳しい現実を今年ずっとコロナの中で生きてこられたけども、その中にあっても喜びについて書いてるんですね。厳しい現実の中でも喜べる喜びがある、それは神の無限の愛の泉から汲みとる喜びだ、と。これ、実は教皇フランシスコの言葉でもあるんですね、最初の使徒的勧告『福音の喜び』の中の一節です。「神の無限の愛から汲みとる喜び」。確かに、そんな喜びさえあったら、無敵じゃないですか。我々だって、いつどんな病気になるかわからない。来年二〇二一年もね、突然災いが過ぎ去って幸せいっぱいな年になるとは、なかなか思えない。けれども、社会的にも個人的にも、どれほど厳しい現実の中でも、神の愛のうちにあって私たちは喜べるし、主と共に復活の希望を新たにできるはずです。岡田司教さんは、こうも言ってました。
 「私たちは、確かに弱い。弱いけれども、その弱い人間性が、復活という不滅の命、不死の命に挙げられるのです」。
 この信仰です。キリストにおける、希望の信仰です。岡田司教さんは、遺言のようにそう書き残して、ほどなく天に召されました。どのような最期であったか、どのように信じて祈り続けたのか、それは神さまだけがご存じですけども、「どれほど厳しい現実の中にあっても喜べる」っていう、その信仰を携えて、天を仰いで召されていったんじゃないですか。「弱い人間性が、不滅の命に挙げられる」という復活の信仰のうちに、天に誕生していったんじゃないですか。それこそは、一人のキリスト者が輝かせてくれた星の光でしょう。その星はしるしとなって、私たちに語りかけています。「困難の中にあっても、この不滅の希望を持ち続けなさい。主イエスは私たちの内に確かに生まれた、その光を見なさい」、と。
 
 岡田司教さんにどうしても感謝したいことが、一つある。一〇年くらい前だったか、とある研修会で福音宣教について語り合っていたときに、そこに岡田司教さんもいたんですね。その集いでは、今の時代の福音宣教がいかに困難かって話をしていたんだけど、「高齢化が進んで教会運営が大変だ」とか、「洗礼を受ける信者が少ない」とか、「今の日本では福音宣教はなかなか難しい」とかそんな話ばかりで、なんだか暗ーい雰囲気だった。そのとき、岡田司教さんがボソッと言ったんですね。「キリスト者が暗かったら、福音は伝わらないでしょう。福音は喜びなんだから、やっぱり確信をもって、はっきりと福音宣教しなくちゃならないでしょうね」と。そして、ぼくをじっと見つめながら、こう付け加えたんです。「みんな晴佐久神父さんのように、『こうです』って、はっきりと福音を宣言できたらいいんですけどね」。ぼくは、びっくりした。そんなふうに思ってくれていたってことに驚いたし、そういうことを本人を前にはっきり言うってことにも驚いた。そういうタイプだと思ってなかったから。でも、そのときの司教さんのまなざしは、忘れられない。ちょっと自信を無くしかけていたときでもあったので、すごく励まされた。「晴佐久神父さん、これからも恐れずに堂々と、福音を宣言し続けてくださいね」って言われたと思った。
 私も恐れの人間だし、いつも迷ってばっかりだけれども、キリスト者である以上、使命がある。与えられた使命は、果たさなきゃならない。その使命とは、キリストの光を信じること、信じて明確に宣言するってことでしょう。そうしなかったら、キリスト教じゃないですよ。「あなたも救われるといいですねえ、でも果たしてどうですかねえ」なんて言ってるんじゃ、キリスト教じゃないですよ。キリスト教は「神の国はもう来ている」っていう福音にあるし、そこだけはやっぱりゆずれない。それまでも、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、誰に対してでも「あなたはもう、救われてます!」って、勇気を振り絞って宣言してきました。だけど、岡田司教さんにそう言っていただいてからはふっきれて、「司教さんのお墨付きだ!」みたいな気分で、いっそうはっきりと宣言するようになりましたし、それはもうみなさんがご存じのとおりです。

 今日もはっきりと、申し上げます。
 主イエスは、もうみなさんのうちにお生まれになりました。救いはもう来てるんです。それを信じることで、わたしたちは真の安らぎと喜びを得ます。すべての人を照らす星はもう輝いています。私たちは確かに弱いけれども、不滅の命、不死の命へと復活していく神の子です。みなさんは、もう救われています。これは、事実です。二〇二〇年のクリスマス。ほんとに困難な年でした。いろいろな犠牲も払いました。しかし、ご安心ください、私たちのうちに救い主が生まれました。
 クリスマス、おめでとうございます。



2020年12月25日録音/2021年1月31日掲載 Copyright(C)2019-2021 晴佐久昌英