福音の丘
                         

一本のトライアングル

年間第33主日
カトリック浅草教会

第一朗読:箴言(箴言31・10-13、19-20、31-31
第二朗読:使徒パウロのテサロニケの教会への手紙(一テサロニケ5・1-6)
福音朗読:マタイによる福音(マタイ25・14-15、19-21)


ー 晴佐久神父様 説教 ー

 イエスさまらしい、ユニークなたとえ話ですね。ただこれ、勘違いしないように補足しておくと、まさか神さまが「さあ、こっちを救おう。こっちは追い出そう」だなんて、一方的に厳しく裁くわけがないんで、「ああ、自分はちゃんとタラントン増やしてないから追い出されるかもしれない、心配だ」なんて怯えないでくださいね。イエスさまが言いたいことの本質は、「私たちは全員、神さまからちゃんとタラントンを与えられているから、それを生かそうね」っていうことです。実際、我々はもうすでに莫大な恵みを頂いてるんです。それは十タラントンだろうが、一タラントンだろうが、いずれにしてもとてつもない額です。
  さらには、その莫大な恵みのことを「少しのものに忠実であったから」(マタイ25・21)っていう主人の言い方からもわかるように、それをさらに圧倒的に大きな実りに増やすことさえできるんです。実際、我々はもう、どんな大金でも買えない恵みを頂いております。時間とか、仲間とか、出会いとか、健康とか、個性的な一つひとつの才能とか。だって、優しい心で誰かに声をひとつかけるなんていうだけでも、すごい才能じゃないですか。そんな力を十どころか、実は百タラントン、千タラントン与えられている。だから、それをもし活かすならば、とてつもない働きができる。ここが、本質です。誰でもできます。全員。体が弱かろうが強かろうが、どんな境遇でも必ず、すごい力が与えられている。
 問題は、その与えられているものをみんな眠らせているし、それはあまりに、もったいないってこと。そのうちのほんの一部でも活かすなら無尽蔵に増えるのに、眠らせている。地中に埋めている。だから、その恵みに目覚めて、それこそワクワクしながら増やすというか、活用するというか、与えられた「特別ななにものか」を活かそうっていう、そんな思いをね、イエスさまは弟子たちみんなに持ってもらいたい、そういうお話でしょう。
 みなさんのことですよ。みなさん、「私には才能がない」とか、「自分は恵まれていない」とか、いろんなこと言いますけど、全くそんなことないです。「その人にしかできないこと」っていうのが必ずあります。だって、ただ単に「今日一日を精一杯生きる」っていうだけでも、その人にしかその人を生きることはできないんだから、それだけでもすごい才能であり、恵みであって。どんな小さなことにも希望をもって、勇気をもって、この世界を一日、また一日と生き切るだけでも、いただいた恵みを増やすことになるんです。
 今日もこうして見渡すと、私の若い友人たちが大勢来ておりますけれども、その中には「もう死にたい」とかってSNS上でつぶやいている人もいます。そんなあなたのつらい気持ちがわからないわけじゃありません。正直な気持ちでしょう、「自分は心も弱くって、恵まれない人生で、いつもひとりぼっちで、こんな自分は役に立たない人間だ」、そんなふうに思ってしまって、もう死にたいって気持ちがわいてくる、そういうこともあるでしょう。でもね、そんなあなたがですよ、死にたい気持ちを抱えながらも今日このミサに来たじゃないですか。今日一日を、なんとか精一杯生きているじゃないですか。それって、すごい働きなんですよ。「誰にもできないことをした」って思ったらいいと思う。元気な人が当たり前のように一日生きても何も増えないけど、生きるのがつらい人が何とか一日生きたらもう、タラントン百倍、千倍です。今日この聖堂に、悩みを抱える人が大勢集まってますけど、あれやこれや抱えながらも、もう一日、もう一日となんとか生き切るっていうだけでもね、とてつもない働きをしているんだって思っていただきたいし、そのようなみんなの働きが集まってこそ、この教会が輝いているっていうふうに見ていただいたらと思います。

 「ウィーンフィル」、ご存じですか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。先週、日本に来たんで、サントリーホールに聴きに行きました。ワレリー・ゲルギエフっていう名指揮者が、ストラヴィンスキーの『火の鳥』を振ったんですけど、これ、コロナで延期になっていたのが急遽来ることになったもので、私は、サントリーの初日に聴きに行ったんです。なぜなら、状況次第では、いつ中止になるかもわかりませんから。
 それはもう、だって、奇跡なんですよ。この今の日本に、世界一の管弦楽団であるウィーンフィルが、フルオーケストラでやって来るっていうのが。今はウィーンでもちゃんとした演奏会ができず、まして国外にも出られず、資金難で存亡の危機に至っているわけですけど、そんな中、日本政府とオーストリア政府が協議して、ウィーンフィルを日本に招いた、と。まあ、英断だったと思います。彼らは来日前から検査して隔離生活して、特別機でウィーンから福岡まで飛んで、新幹線借り切って東京へ移動して、もちろん東京でもホテルに籠りっきりで。まさに「よくぞ、来てくれた」だし、やっぱり音楽の力は偉大だなぁというか。不要不急って言われながらも、芸術にはほんとに秘められた力があって、それを私も目の当たりにして、とても励まされたんです。
 何に励まされたって、楽団員一人ひとりが、とてつもない努力と工夫をしてないと、これ、実現しないんですよ。そもそもウィーンフィルの人たちなんて、子どもの頃からずっと、必死に研鑽を積んで、とてつもない努力の末に入団した人たちだし、しかもウィーンフィルっていう、「世界で最高の音を出す」ことに誇りを持っている仲間たちと、長年心を一つにしているんです。その、輝かしい業績をあげてきた彼らが、音楽の力を信じて日本での公演を実現させた、その強い思いに励まされました。
 それは彼らにとっても、「全員で、フルオーケストラで、東京のサントリーホールで、誇りある自分たちの響きを響かせることができる」って、本当に嬉しいことなんです。彼らはそのために人生をかけて来たんだし、そのためならどんなことでもしますっていう努力を積み重ねて、準備してきたんです。金管の飛沫がどこまで飛ぶかなんていうのまで研究して、万全を尽くしてフルオーケストラをステージに並べました。数えただけでも百二十人以上いましたよ。ともかく、ホールに入ったとき、ハープが三台並んでいるのにびっくりした。それから、コントラファゴットっていうんですけど、ファゴットのでっかいやつで、ストラヴィンスキーなんかの大編成のときに使う楽器が置いてあるんですよ。いやいや、びっくりしたし、感動したし。「これ、本気だ」と。
 そんな中、いよいよ会場に楽団員が入って来るわけですよ。サントリーホール満席でしたけど、その瞬間、万雷の拍手が湧き起こりました。最後の一人が入るまで、その拍手鳴りやまず、楽団員も感極まった顔で会場を見回してるんですよ。それは嬉しかったと思うし、お迎えしたほうも誇らしいし、そこはもう双方の気持ちがひとつなんです。「来てくれてありがとう」、「呼んでくれてありがとう」と。やがてゲルギエフが出てきて、『火の鳥』。・・・これまた私、高校生の頃は毎日のように聴いていた大好きなバレエ音楽なんですね。そのころ聴いてたのは組曲なんですけど、今回やったのは1910年版という、50分かかるフルサイズのをやったんですが、ぼくは高校生のときにこの曲をヘッドフォンで聴きながら、頭の中で、もういろ~んなイメージを膨らませて、今回はこんなストーリー、今回はあんなイメージって、心を遊ばせたものです。多感な高校時代。悩んだり、泣いたり笑ったりしてた頃に夢中になって聴いていた曲です。なかでも、中間部の「王女たちのロンド」っていう、私に言わせれば世界で最も美しいメロディーだと思うんですけど、それが流れ始めたら、もう、思春期のときめきがよみがえって、思わず涙しちゃいましたよ。「みんな、ほんとうにありがとう」って。

 ウィーンフィルの人たちって、言うまでもなくそれぞれがソロでも仕事ができるようなエキスパートです。その人たちが、一人の指揮者のもとで一つになる。ゲルギエフって、指揮棒持たないで手を魔法使いのように振るので有名な指揮者ですけど、その魔法にかかったように、一糸乱れぬ天上の響きを響かせるんです。もちろんどの交響楽団だってそれなりにやりますけど、ウィーンフィルはやっぱりスペシャルで、ただ一つになってるだけじゃなく、一人ひとりがほんとに自由に歌っているのに、それが全体の中で特別な意味を持ってきちんと鳴るという、これはやっぱりウィーンフィルならでは。ナマのウィーンフィルは10年前に『新世界』を聴いて以来ですけど、そのときの第二楽章が耳に残っているほどで、「ああ、これこれ」っていう、ウィーンフィルならではの響きがあるんです。
 たとえば、「王女たちのロンド」でも、最初、オーボエが主題を吹き始めると、それをチェロが受けて、さらにそれをクラリネットに渡してっていうあたりの、それはもうサッカーの芸術的なパス回しでゴールしたときみたいな。こんなの、一人ひとりが上手けりゃいいってもんじゃないんですよ。それぞれが自分の仕事をきちんとして、自分なりのアイディアをもって、しかしそれをみんなと共有して、連絡取り合いながらゴールまで持っていくっていう。名人芸って、こういうことか、と。チューバなんかでも、弱音器から始まって、やがて弱音器外した低音を「ブオーーン」と響かせて、さらに別のチューバに持ち替えてと、ともかく一人ひとりが最高の音を出すための最高の訓練をしているんですよ。
 最後の最後はシンバルが鳴って終わるわけですけど、そのシンバルも二人並んで打ってるんですけど、その隣で、トライアングルが三人、「チリチリ、チリチリ、チリチリン」って鳴らしてるんです。その三人のそれぞれの音が全部聞き取れるっていうくらい澄み切っていて、すべてが完成し、天上の響きが響き渡って終わる、と。その最後のトライアングルにまた泣かされちゃってですね、それは言うなれば、「みんながそれぞれの働きをしながら、本気で一つになると、こんな天上の喜びを生み出すことができるんだ。人間、すごい!」、っていう、そういう感動です。だけどこれ、みなさんのことをお話ししてるんですよ。

 「もう死にたい」と思っている人が、今朝起きて、暗い気持ちで、「でもミサに行こう」、そう思ってやって来て、みんなと一緒に「主よ、あわれみたまえ」と祈る。「天のいと高きところには神に栄光」と賛美する。
 美しい。それは、その人ならではの、オーボエなのか、チェロなのか、クラリネットなのかはわからないけど、精一杯「自分」という恵みを生きている、そんな私たちがこうやって聖堂に集まって、一緒に「アーメン」と声を合わせるのは、それはもうサントリーホールよりも遥かに響いているし、ウィーンフィルよりもいっそう神の喜びとなっています。それは、全く確かなこと。
 ミサの美しさっていうのは、そういうところにある。ぼくらがこう、一見バラバラなようでいて、しかし一つに結ばれて神の喜びとなっているっていうことをはっきり申し上げたいし、みなさんがこうして精一杯自分を生きる、それこそがタラントンを活かすっていうことだろうと思いますよ。いただいた恵みを、誠実に生きていくっていうこと、それくらい尊いことはないし、最後にこの主人は、「わたしと一緒に喜んでくれ」って言ってるじゃないですか。(cf.マタイ25・21)ぼくらもやがて、天上の仲間たちと共に、天上の主と共に喜ぶ喜びに憧れながら、なかなか大変な一日、一日をやってまいりましょう。
 こうしてミサを実現できているのも、お気づきのようにコロナ対策が大変な中、担当の委員さんたちが精一杯話し合って、準備して、状況が変わればまたちょっと変更してと、あれやこれやと工夫しながら、なんとか実現しているんです。それは、ウィーンフィルがはるばる日本にやってきましたっていうのに、勝るとも劣らぬ工夫と誇りでしょう。クリスマスなんかさらに大変だと思いますけども、なんとかみんなで、「天のいと高きところには神に栄光」って神を賛美する、そんな日を夢みます。

 今日、「貧しい人のための世界祈願日」っていうことで、ぜひお祈りしていただきたいんですけど、貧しい人たちこそ、この世界の中で、一本のトライアングルとして、自分の持ち場を精一杯生きることで役割を果たしているんですよ。教会に先週相談に来たホームレスの方、ガード下を11月いっぱいで追い出されるんで、「荷物だけでも置かせてくれないか」って言うから、教会委員会で相談して、スロープの下のスペースにブルーシートかけてお預かりすることにいたしました。「ここならちょうどいい」って喜んでましたけど、そこをじーっと見ながら、「ここで寝れたらいいんだけどな」って言ってました。この寒空にガード下追い出されて、行くあてもなく、荷物抱えて右往左往。そんな一人もまた、特別な役割を果たしています。あのトライアングルだって、三人で「チリチリ、チリチリン」って鳴らさなきゃいけないんです。あれを「どうせ聞こえっこないから二人でもいいんじゃないの?」って言うとしたら、絶対違う。そこはやっぱり、三つでないと。ストラヴィンスキーが何を思ったか知りませんけど、彼もまた、彼だけの特別な響きを持ってるはずなんですよ。それらが全部鳴り響いたとき、いったいどんな楽園の響きがこの世界に響き渡るんだろうっていうのは、やっぱり憧れてやまないですよね。
 私、今、世界に名だたる大村博美のソプラノ・コンサートを企画しております。2022年1月8日、紀尾井ホールです。空けといたほうがいいですよ。最高のコンサートになります。そのための寄付も集めてます。なんで寄付が必要かというと、実はこのコンサート、ホームレスの方を無料招待するコンサートなんです。いいでしょう? 「こんな美しい響き、聴いたことない」っていう方々に、ぜひ聴いていただきたいんです。自分はこれを聴くに値する存在だってことを味わってほしいから。
 みんな揃って初めて、「ここが神の国」っていう、そんな響きをぜひとも生み出したい。私も私なりに、与えられたタラントンを活かして、神の国をいっそう輝かせる工夫をいたしますので、キリスト者みんなで、このコロナの時代に最高の交響楽団として、素晴らしい音楽を響かせましょう。「わたしと一緒に喜んでくれ」って言っていただけるんですよ。



2020年11月15日録音/2020年12月9日掲載 Copyright(C)2019-2020 晴佐久昌英