年間第32主日
カトリック上野教会
第一朗読:知恵の書(知恵6・12-16)
第二朗読:テサロニケの信徒への手紙一(一テサロニケ4・13-18)
福音朗読:マタイによる福音(マタイ25・1-13)
ー 晴佐久神父様 説教 ー
昨日の散歩の話から始めましょうか。谷中銀座ってご存じですか、私行った事がなかったんで、昨日散歩してきました。せっかく上野にいるんだし、ちょっとのぞいてみようかと思って。なかなかにぎやかで、いろんな店が並んでて面白かったですよ。有名な「夕焼けだんだん」っていう階段のあたりなんか、ベーゴマなんか回して売ってる人達がいたりして、昭和の香りが漂っていて。八百屋さんがあり、魚屋さんがあり、お茶屋さんがありで、なんだかとっても懐かしい雰囲気でした。
思い出したのは、谷中銀座は日暮里ですけど、隣の田端には田端銀座ってのがあるんです。ご存じですか。私、文京区駒込の生まれ育ちなんで、子どもの頃、よくこの田端銀座に母に連れていかれたんですね。あの時の商店街のざわめき、魚屋さんや八百屋さんの呼び込みの声、何かそれがめちゃめちゃ懐かしかった。母がよく言ってました、「田端銀座は安いのよ」ってね。当時は結構な賑わいでしたから、母は右手に買い物かごを下げ、左手で私の手を握ってね、はぐれないようにって。その時母が持っていた買い物かごとそっくりのかごを、谷中銀座で売ってたんですよ。「あ、これこれ!」って、もう55年も昔の話ですけど思い出しました、こんなの使ってたなあってね。何でしょう、懐かしいというか、その頃の母はいくつだったのか、たぶん30代前半でしょう、どんな思いでわが子の手を握ってたんですかねぇ。
まずしい、小さな家で暮らしてた頃です。安い食材を探して、駒込から隣町の田端まで買い物に行ってたんですね。みんなを喜ばせるため、子どもたちを元気に育てるために、精一杯、色々と工夫しながらやりくりしてたんだろうなあとか、昨日はそんな事思いながら、谷中銀座を歩いておりました。
あさって、母の命日なんです。亡くなってもう14年ですけれども、誠実に人に奉仕する母の姿を、最近になってなぜだかよく思い出します。亡くなったら段々忘れていくかと思いきや、自分を顧みずにみんなに奉仕する、その姿が思い出されて、そのありがたさが、今頃になって身に染みてくるんですよ。「おかげさまで」っていう事です。おかげさまで私が生まれ、育てられ、大きな影響を受けて、今日まで生きてこられたって事ですから。
母の影響、やっぱり強烈に受けてます。たとえば、家の近くのホームレスの方のために、おむすび握ってね、それを私に持たせて届けさせるんですよ。あれはほんとに、いい教育ですね。おっきなおむすび握ってね、経木でくるんで、新聞紙に包んで、「公園の前におじさんが座ってるから届けて来なさい」って、子供に持たせるんですね。行くと確かにおじさんがいて、声をかけるのもちょっと怖かったですけど、渡して来る。そういう教育ですね。私にしてみたら、他の家のことなんか知らないわけですから、そういうふうに教育されると、そういうものだって学ぶというか、良いも悪いもない、おじさんにおむすびを渡すのは、「そういうもの」なんですよ。選択の余地がない。
あるいはね、中高、学生時代は、わが家は私の友達のたまり場で。母は、常にご飯をいっぱい作って出してた。ともかく人をもてなすこと、喜ばせる事が一番大事で、そのためにだったら何も惜しくはないっていうような。でも、子供心に、みんなをもてなすウチの母さん偉いなあなんて特に思いませんでした。「そういうもの」だと思ってましたから。わが家に友達が、毎日のように、時には何十人と集まってましたし、みんな食べていくし、泊まってくわけですよ。不思議にも思わない。
またあるいはね、私が神父になってからですけど、若者たちの居場所づくりっていうのを始めたんですね、神父になってまもない頃。色々掛け合って、渋谷教会の地下ホールでライブスペースを作りました。月に一度、若者たちが自分達の音楽を演奏して、お酒や食事も出したし、出会いの場として本当に楽しかったです。毎月ラストの金曜日ってことで、「ラスキンクラブ」という。それはじめる時も、当然資金が要るわけですよ。PAやスピーカーを揃えたり、本格的な看板作ったり、チラシまいたりで資金が必要なんだけど、私は手持ち資金ないんで、「夢の実現のために寄付をお願いします」って呼びかけたら、なんと真っ先に、母が50万円持ってきたんですよ。そのころは母も貧しかったんですけどね。父は死んでいたし、パートで食いつないでいたのに、「これ、使ってちょうだい」って。真っ先でした。まさか母が持ってくるとは思ってなかったんで、びっくりしましたけど、でも、「すいませんね」とか、「いずれ返しますから」とか、そんなの全くありませんでした。「ありがとう!!」って(笑)頂きましたし、「そういうもの」くらいにしか思ってませんでした。
こうやって話してると色々思い出しますけど、すべて「そういうもの」なんですよ、私にとっては。親っていうのはそういうもので、それはもう、他の親を知りませんから。さらに言えば、母はキリスト者のモデルでもあるわけで、つまりキリスト者っていうのは「そういうもの」だって教えられたんですね。だれかを喜ばせるっていうのは、別に英雄的行為でも美談でもなんでもなく、「そういうもの」なんだ、と。生きるって、それが全てだし、そのためだったら何も惜しくありませんというような。
もちろん、おむすび一つ握るにしても時間を使う、労力を使う、カネを使う、だけど、そうする事が生きるすべてだと知っていれば、そんな犠牲は何でもないっていう、「そういうもの」。私なんかは全然母のようには出来ていないと思うけれども、それでも影響を受けていますし、おかげ様ですね。「みんなを喜ばせることは別に当たり前だよね」っていうキリスト者の基本を生きていきたいと、改めて思います。
今日の福音書で、愚かな乙女たちと賢い乙女たちが出て来ますけども、「愚か」とか「賢い」とかって、これ、モチベーションの違いなんですね。やる気っていうか、任された喜びっていうか。乙女たちにしてみたら、花婿を迎えに出て行って、花婿を迎え入れて、素晴らしい宴が始まるわけでしょう。その宴のためだったら何でもするし、奉仕したいし、それは乙女たちにとって誇りだし、喜びですから、もう、花婿を喜ばせるにはどうしたらいいかって、精一杯考えて準備するわけです。それは別に、しなきゃならない仕事だからじゃなくて、「そういうもの」なんですよ。最高に名誉な奉仕だし、花婿が喜んでくれることが私の喜びだ、そのためにああしよう、こうしようっていうモチベーションの話です。
「愚かな乙女たち」って、何が愚かかっていうなら、そのモチベーションが理解できていないってことでしょう。だから、用意しとかなきゃならない油を、平気で忘れる。「賢い乙女たち」は、何が賢いかって言うなら、そのモチベーションを正確に理解してる賢さです。「花婿を迎えた時に油が足りないなんてことがあったら、花婿を悲しませてしまう、せっかくの宴が台無しだ、まさかそんなことはできないから、ちゃんと用意しとこう。他にも何かぬかりはないか、何か足りないものはないか」って、精一杯考えて、準備するわけですよね。ともかく、花婿を喜ばせたい。宴に集うみんなの笑顔が見たいんです。そのモチベーションがあるから、油を用意して待っている。
この花婿は、神でありキリストであり、キリストの宿る身近な他者でしょう。ともかく、誰かを喜ばせたいっていうそのモチベーションがね、もはや神の国そのものなんだと。「天の国は次のように例えられる」ってイエスさま言ってますけど、天の国、天の宴の先取りであるこの世の集い、その喜びのためだったら何でもしますっていう、「喜びを作り出す宗教」みたいなところがあるんですね、キリスト教って。イエスさまがその模範を示してくれたわけですし、私の母なんかも、その意味ではごくスタンダードのというか、普通のクリスチャンなんです。「普通」ってのも変ですけど、まあ、「当たり前」のキリスト者ですね。ともかく生きるって「そういうもの」だって事を子供に教えてくれたわけです。
おかげさまでというか、先週も色々ありましたけど、結局はすべて母の「当たり前」にすぎないなってつくづく思わされています。おとといも、元路上生活者の「最寄りさん」にお弁当をお届けしたら喜んでましたけども、「10万円の給付金、そろそろ届くはずなのになあ」って言ってました。小為替で届くんですけど、まだだって言うんで、届いたらお祝いしましょうねみたいな話をしました。この最寄りさんは路上から脱出させることができましたし、これから寒くなってくると色々大変なんで、よかったなとも思いますけど、これは別に英雄的行為でも美談でもなく、「そういうもの」なんですね。母がむすんでいたおむすびは、50年以上経って、最寄りさんにも届いてるんですよ。凄い事ですよね。人を喜ばせる事って、永遠のことだし、すごく身近で具体的な事でもあるわけです。誰か喜ばせること、それが永遠なんです。自分を喜ばせても、そんなものすぐ消えちゃいますけど、誰かを喜ばせることは、永遠。
あるいは、先週はニート系の方々が次々とやってきました。ニートって、大学にも行ってない、仕事もしてない、ほとんど家にいて就職意欲もない、そんな若者です。彼らに対して、ちゃんと働けよ、とか自立しろとか言うのは簡単ですけど、人間関係を上手く作れないとか、様々な怖れや囚われを抱えていて、社会に適応するのがなかなか難しい。そういう人っているんですよ。一定数おります。それをムチでたたいて働かせるのは無理だし、意味が無い。むしろ働ける人は働き、働けない人と分かち合えばいいんで、さらに言えば働いていないようでも、大きな目で見れば、別の形で色々な役に立ってるし、特別なあり方で奉仕をしているんですね。そんな何人もの彼らと先週、たまたま会ったんで、バラバラでいるのもなんだから、そんなみんなで福音家族を始めましょうっていう事になりました。20代で仕事に就かず、どうやって生きていっていいのかよく判らず、人間関係作るのも得意じゃないために孤立している、そういう方が身近にいたら、ぜひご連絡ください。とりあえず、来月辺りにそんなみんなで一緒に温泉に行こうかっていう話も出てます。やっぱり合宿ってね、大きな力がありますから。そういう事をするのだって、やっぱり、我が家でみんなをもてなしていた母の影響があるわけですよ、「そういうもの」なんだという。
ニート系の仲間たちを集めてくれたのはやっぱり母だって思うし、今、心の病で苦しんでいる若者たちの福音家族を手伝ってくれているスタッフだって、かつて母からご飯を食べさせてもらった人達だし、母が援助してくれたラスキンクラブで出会った人達ともいまだに一緒に福音家族とかってやってますし、やっぱり永遠なる神の国って、そういう事でしょうね。
死者の月です。この聖堂の聖母像のところにこに、教会関係の追悼者のお名前が掲げられていますが、その聖母像の下にユリの花が供えられていますでしょう。あれ、ある方が、毎年母の命日に合わせて送って来てくれる花なんですよ。私の母の事を慕って、尊敬して送ってくれるんです。毎年欠かさず。もう亡くなって14年ですけど、いまだに花が届くのって、やっぱり嬉しいですね。母は生きているんですよ。というか、今なお奉仕してくれているんです。
おそらくこの教会関係追悼者っていう方達も、或いはそこに名前のない、皆さんが個人的に追悼したい方々も、みんなどれほど私たちのために奉仕してくれたか。喜ばせてくれたか。その奉仕がどれほど素晴らしい実を結んでいるか。その方達は、これだけしたんだから、これだけ返せなんて決して言いません。奉仕した相手が笑顔でいてくれるなら。幸せになってくれるなら。みんなが仲良く神の国を味わってくれるなら。もうそれはかけがえのない事なんで、そのためには何でもする、何の見返りも要らない、それは、そういうものだからです。それを我々も、そういうものだって受け止めたらいいし、その代わりに我々もまたどなたかに、「そういうものですから」って、当たり前のように奉仕し、分け合い、援助できれば、と。
今日のこのあと、「ごごヤシの集い」っていうのがあって、心の病を抱えてる方達が集まってきます。実は、先週の入門講座に、「私はうつを患ってます」ていう男性が来ていて、すると近くにいた別の男性が、「私もです」って言うんですね。二人は初めて出会ってるんですけど、「私うつです」、「私もです」って、とても自然に言い合える場って、いいですね。それで私は、来週心の病を抱えている方たちの集いがあるからぜひいらしてくださいって誘ったら、じゃあ一緒に行きましょうって、二人で今日来るんですよ。嬉しいですねえ。うつの苦しさって、ほんとうに苦しいんですよ。しまいには「こんな自分なんか、いない方がいい」って思ってしまう、その心の闇の暗さは如何ばかりか。でも、そのうつを抱えながらもなんとか出てきて、「私もうつです」っていう仲間に出会える、それこそが本物の入門講座です。さらには、そんな二人にどうぞおいでくださいって誘える集いがある、それこそが本物の教会です。そういう場があるっていうのは素晴らしい事だと思いませんか。「大変ですね。お祈りしてます」って言うだけじゃないんです。「どうぞいらしてください」って言えるんです。
今日の午後、彼らが出会ってくれるかと思うとほんとに嬉しいし、それはかけがえがないひと時ですけど、まあ、それを作り出したのは私の母なんだなあとも思います。買い物かご下げて、私の手を握って歩いてくれたあの日々をふと思い出しますけど、それは何気ない日常のようでいて、半世紀以上経ってもいまだに、ちゃんと実りを結んでいるってことです。現に、今日もこれから母は、真っ暗闇の中で苦しんでる人同士を出会わせて、その心に天上の光を一筋差し込ませるでしょう。凄くないですか。母自身は、「そういうものよ」って言うでしょうが。みなさんの、今日の小さな一つの奉仕は、半世紀後、誰の心に、どんな光をもたらすのでしょうか。
2020年11月8日録音/2020年12月6日掲載 Copyright(C)2019-2020 晴佐久昌英