神の母聖マリア
第一朗読:民数記(民数記6・22-27)
第二朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)
福音朗読:ルカによる福音(ルカ2・16-21)
カトリック上野教会
明けましておめでとうございます。この一年が良い年であるようにとお互いに心から祈り合いましょう。
年越しは皆さんはいかがだったでしょうか? 私はいつものように浅草教会で0時ミサがありましたから、0時までお酒を飲めない。キャンプ家族の仲間たちはみんな6時頃から飲んでんですよ。それで一緒に紅白を見るっていう、毎年の恒例の集いをやりましたけども、私だけ飲めない。だから0時のミサの終わった後でようやく深夜の乾杯をしてから寝て、今朝起きて上野教会に参りました。もしかすると、これは酒気帯びミサかもしれない(笑)。まあ、どっちにしても葡萄酒飲むわけですから、すべてのミサが酒気帯びミサですけど。
それはともかく、昨日の紅白で私、非常に感動しちゃったっていうのもあって、0時ミサでもその話をしましたし、その後の深夜の乾杯も、とっても幸せでした。あの紅白で何に感動したか、わかりますか?
私の世代はサザン、ユーミンの世代ですけど、私は生のステージを観るのが本当に好きなので、サザンもユーミンもせっせと通って聴きに行ったわけですよ。どちらも、いまだに現役で歌っている国民的バンドと国民的シンガーソングライターですけど、どちらも、めったなことじゃテレビに出演しない。昨夜、その二人がですね、つまり、桑田とユーミンが、紅白で同じステージに並んだんです。この二人が生の番組で並んで歌う姿を見られるなんて、夢々思わなかった。国民的番組ではあっても、この二人クラスになると、わざわざステージには出てこない。福山なんかだって、大みそかのコンサート会場からの中継でしょ。そういう大スターたちなんで、ホールのステージにユーミンが出て来た時も感動しましたし、その後のサザンの歌の時にユーミンが現れて二人で絡んで歌ってるのを見て驚いたし、私は、本当に、なんていうんでしょう、一言で言えばうれしかったんです。
あの二人の歌は、ずうっと自分のこの人生を支えてきたというか、彩ってきたというか。歌は世につれ、世は歌につれ。あの時、あの曲を聴きながら、あんなことがあったなあ。この時、この曲を、みんなで一緒に歌ったなあ。そういう、自分の人生を飾ってくれる、励ましてくれる、意味あるものとして輝かせてくれる、大切な歌の数々なわけですよ。そんな二人がね、並んで仲良く、互いに尊敬し合いながら歌っているのを見ると、なんだか、自分の人生のさまざまな要素がつながるというか、意味あるものに思えてくるじゃないですか。
二人がちゃんと並んでそこにいる。そういう意味では、あの紅白っていうのは、大したもんですよ。二人はもちろん、スターたちがみんなそろってる。集まって一緒にいる。もうそれだけで、いいことだなと思います。それだけで励まされます。バラバラだと見えてこない意味が見えてくる。それぞれの、なんでしょう、個性ある人たち、多くの人たちに愛されて、多くの人たちを励ましてきた、そういう人たちが、一堂に会することでみんなを元気にしてる。いいことじゃないですか。私はそこにすごく感動致しました。
その紅白を一緒に見たキャンプ家族というのは、30年来続けている無人島キャンプの仲間たちですけど、この大みそかに集まるのは、ずうっと昔から続いている習慣です。数ある福音家族の中でも、一番古いのがこのキャンプ家族ですね。月に一度は一緒にごはんを食べながら血縁を超えた家族になって、無人島での一週間を過ごす。そんなことを毎年続けてもう30年になります。で、家族なんだから、紅白を一緒に見る。そういう昭和な感覚で、大みそかを一緒に過ごすわけです。昨夜はたまたま、ほかの福音家族も来ていて、お互いに初めましてという出会いもあり、そんなみんなで一緒に歌ったりして楽しかったですよ。
キャンプに20年前に来たけれど、もうそれっきりで来てないメンバーも、この年末の紅白の時は来る。年代が違うから、新しい曲なんかはもうわからないとか言ってる。それでも、全員そろうっていうのがいいんです。「家族みんながそろう」っていうところに、何かとても価値を見出します。みんながなんか仲良く一緒に過ごして、一緒に歌って、そして共に年を越す。いいじゃないですか。
昨日そうして0時ミサが始まったら、さらにほかの福音家族の仲間たちも集まっていて、浅草教会の夜0時のミサ、去年よりも人が増えて、にぎやかでした。特にアジア各国の若い人が増えたのがうれしかったですよ。中国、韓国、フィリピン、ミャンマーも来てました。ベトナムが一番多かったかな。スリランカもいました。そして、インドネシア。なかなか多国籍で、いいですよね。今の日本はそういう意味では、アジア人が集まる日本になりつつあって、オリンピックじゃないですけど、各国のみんなが一堂にそろってるっていう、その感じが楽しかった。
やっぱりね、みんなそろうべきですよ。バラバラでいちゃいけない。もちろん、それぞれ、それだけでも価値があるんですよ。ユーミンだって、サザンだって、それぞれで素晴らしいんですけど、それが一堂にそろうと、特別な意味が生まれる。人を励ます力が、感動が生まれるんです。言うまでもなく、こうして集まっている僕らのことですよ。私たち、やっぱり一緒にいましょう。そろって、顔合わせて、一緒にこうして歌って、祈って、一緒に食事をする。それが救いのしるしとなる。みんなバラバラでいちゃいけないっていうことです。
今日の福音書ですけど、羊飼いたちがイエスさまのとこに来ましたでしょ。最初のお仕事ですね。イエスにしてみたら、全ての人を救うためにこの世にお生まれになったんであって、みんなが来てくれなきゃ意味がないんですよ。一人静かに過ごしてですね、誰にも知られずに死んでいく、そんなのはイエスじゃない。みんなに知られて、みんなが集まって、みんなと出会える。これがイエスにとって最高の喜びですし、それが教会ってことです。
イエスは誕生してすぐに、そのような「教会」を始められた。そこはやっぱり、さすがに他の人たちとは違う。暗闇の中、旅先でポツンとお生まれになったわけですけれど、天使たちが、野宿してた羊飼いたちを呼び集めて、イエスさまのところに連れて来たわけです。そうしてイエスさまに出会った羊飼いたちは、イエスさまを囲んで、救い主が私たちのために生まれてくださったんだという喜びに満たされる。
神さまは、私たちをバラバラにしておきません。一人ぼっちでいる人をみんな呼び集めて、一つに集めます。そうしてみんながそろったら、「ああ、これが私たちの家族なんだ。ようやくみんなそろった」、そんな一致の喜びに満たされる。今日も、上野教会に初めて来ましたとか、それこそミサも初めてって人もいるかもしれない。そんなふうに、お互いにまだ知らないようなメンバーが集まっていたとしても、これは神さまが呼び集めた人たちであって、私たちは今日、ようやくここにそろったんですよ。家族がようやく、みんな集まりました。一年中、全てのミサがそうなんですけど、今日、年の初めのミサで、そういう喜びを分かち合ってほしい。私たち教会の家族がここにそろって、共に感謝と賛美を捧げているのは、本当に大きな恵みだということを年の初めに新たにしたいと思います。
昨日の0時ミサに、中国からの留学生が来てくれました。先月から上野教会に現れた、日本の大学に通っているまだ二十歳の留学生です。日本でなかなかさみしい思いもしているようで、3週間前にここのミサに現れたので、食事をしながらいろいろお話を聞きました。日本語がすごく上手なんです。中国で洗礼を受けたカトリック信者ですけど、日本での友達を求めているんですね。なので、みんなと一緒に紅白見ようよって誘ったので、大みそかに来たわけです。みんなとおしゃべりして、本当に喜んでた。
その彼、去年の年末年始は、日本で一人ぼっちで過ごしたって言ってましたよ。2017年の大晦日と2018年の新年、一人ぼっちですごしたんです。さぞかしさみしかったでしょうが、今年はみんなと過ごした。つまり、そろったんです、家族が。そういうことでしょう。彼、なんと、和服着てましたよ、お正月っていうことで。彼はお茶も点てるし、日本のお琴も習ってるし、日本が大好きなんです。大好きなんだけれど、日本に来たら、日本人との間で壁を感じることが多い。差別的なことを言われて苦しんだこともある。もう本当に心がつぶれそうになって、教会に来たって言ってました。そのおかげで、家族に会えたんです。実際、先々週、彼が肺炎で入院した時、私、彼のところにお見舞いに行きましたよ。「ありがとう」、「すいません」って言うから、「家族ですから」って答えました。いいでしょう? 教会。家族が集まるところ。
ベトナムの技能実習生も最近教会に来てます。ベトナム人の福音家族は、もうすでに留学生の家族がありますけど、技能実習生のための福音家族をつくることにしたので、とても喜んでます。彼らは、百万円借金して日本に来てるんですよ。ベトナムの平均月収2万3千円ですって。ベトナム中部の貧しい地方から、まあ、出稼ぎですよね。この彼もまだ、弱冠21歳。自分の地方はとても貧しいけれど、だから、ハングリー精神があって、有名なサッカー選手はみんなうちの地方から出るんだって、誇らしげに語ってくれました。
でも、技能実習生は、借金返すために、週6日長時間働いて、日本人より圧倒的に少ない給料なんです。2年かけて百万返して、その間に少しずつベトナムにも送る、と。日本人の友達ができるでもなく、ただただ働いている。時にはひどい扱いを受けることもある。そんな中、浅草教会でベトナム人の留学生のための集まりをやっていて、一緒にごはん食べてると聞いて、やって来た。だから、私は、留学生のための福音家族はつくったので、技能実習生のための福音家族をつくりました。第3日曜日の夕方と決めて、第一回の日がちょうど聖家族の主日だったので、サンタファミリアっていう名前にして、今年から毎月、ベトナム技能実習生たちと一緒にごはんを食べることになりました。
だんだん集まって来ますよ。留学生の集まりも最初5人だったのが、今一番集まったときなんか百人になりましたから。毎回50人以上でご飯食べてます。だから、技能実習生の集まりも少しずつ増えるでしょう。彼らが日本でどれほど大変な思いをしているか。でも、そんな彼らがバラバラでいちゃいけない。ベトナム人と日本人、ちゃんと家族がそろって、神の子として一緒にごはんを食べる。こ~んな喜び、ないですって。
家族は、そろわないと。バラバラでいちゃいけない。2019年はそういう年にしようと、お互いに励まし合いましょう。人が独りでいるのはよくない(cf.創世記2:18)。バラバラでいると、つらいこともどんどん膨らんでいくし、さみしい思いもどんどん深まっていくし、しかし、みんなで一緒にいたら、たとえ今年、いろんな災害があろうとも、一人ひとりにいろんな試練が待っていたとしても、なんてことはない、家族がみんなでそろっていれば。
神さまが呼び集めてくださった、私たちは家族です。迷える子羊の私たち、羊飼いたちと共に主の御許に集まります。この一年間、52週、特に主日に、他のチャンスにも、私たちはせっせと集まって「これが家族だ! 」という思いで過ごします。
2019年が祝福された年になりますように。今お隣りにいる方が私の家族だという思いで、そして、今、このような集いを全く知らずに、2018年から2019年にかけて、一人ぼっちで過ごした、そんな一人ひとりがこの家族の集まりに来て、「やっとみんなそろった! 」という、そんな恵みの日を夢みながら、新しい年を始めます。
2019年1月1日録音/2019年3月4日掲載 Copyright(C)2019 晴佐久昌英