福音の丘
                         

秘められた光を

主の公現
第一朗読:イザヤの預言(イザヤ60・1-6)
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ3・2、3b、5-6)
福音朗読:マタイによる福音(マタイ2・1-12)
カトリック上野教会

  3人の博士が、祭壇前に登場しました。お気づきですか。公現の主日ということで、聖家族のご像に博士たちが加わりました。長い旅の果てに、ついに救い主に出会えた喜びの瞬間です。私たちもまた、人生の旅の果てについに神の国っていう、そういうお話をしたい。
 さて、毎年この時期は箱根駅伝の話をしているわけで、私が駅伝ファンだということは、上野教会のみなさんはよく知ってますよね。実はこれ、浅草教会の人は全然知らないんですよ。毎月、第一日曜日と第二日曜日は上野教会ですから。毎年、1月2日と3日に見た駅伝の話を説教で持ち出すのを楽しみにしてるんですけど、直後の日曜は必ず第一か第二日曜なので、結局上野でお話をすることになるわけですが、今日もぜひ、お話しさせてください。
 毎年、駅伝ガイドブックで選手の情報なども見ながら楽しんでいるわけですが、終わってみれば、やっぱり青山学院。青学はこれで、この6年間で5回優勝してるんですね。6年間で5回というと、これ、もはや「たまたま」じゃないんですよ。だって、箱根の山の上まで行って、帰って来て、何秒差だったりするんですよ。今回の3位争いなんか、10区の途中まで4校並んで走っていました。箱根の山の上まで走って行って、帰って来て、最後が何秒差、そんな中で、6年のうち5回優勝。やっぱり、そこには何かわけがあるはずです。
 これ、各大学必死ですから、どっかの大学だけが強い選手集めるとか、そんなわけにいかない。プロだったら、金に物を言わせてってこともあるかもしれませんけど、各大学頑張っているし、それに、部員が何十人もいる中で、10人しか出られないですから、選ばなきゃなんないんですよ。10人選んで、箱根の山の上まで順番に走らせて、戻って来させて、時には何分、何秒の違いで、6年間で5回優勝。やっぱりわけがあるんですよ。そのわけの話をしたいんです。
 単純に頑張ればいい、練習すりゃいい、というもんでもないんです。チームでやっていることなので一体感が必要ですし、各区の特徴があって、適材適所を考えなきゃなんない。1区は様子見で、花の2区ではエース級。5区は山登りの得意な人で、逆に6区は駆け降りるのが得意な人。8区・9区が勝負どころで、10区は安定感抜群の総締めできるやつ、みたいに、当日、10人を選んで走らせる。そんな中、青学のどこが特別なのか。原監督のどこが特別なのか。
 ご存知の通り、原監督は、部員を1年中合宿させて、自分もそこに住んで育ててるんですね。まるで家族のように、合宿所に部員と監督夫婦が一緒に住んで、監督の奥さんがみんなに飯作って出しているんですよ。私、自分も福音家族なんてやってるからよくわかりますけど、同じところに一緒にいる、一緒に飯を食う、時には一緒に泊まる、これって、みんなの中に秘められた力をみんなで発揮するのに最高の方法なんですね。一人ひとりの性格とか悩みとか、お互いに知って、受け入れて、支え合う。すると、その人のうちに秘められた光が輝きだす。リーダーにとって最も大切なのは、その、一人ひとりに秘められた輝きをどのようにして見つけるかっていう、そこなんです。
 ただ走っている時のタイムだけ見てね、「よし、こいつが速いからこいつを選ぼう」と、これじゃあ、だめなんですね。10人いれば色々ですから、誰かが当日調子悪かったりとか、天候によっても得意不得意もありますし、当日変更でメンバーを替えたり、走る所を変えたりするわけですけど、これって、ただ数字見たってだめなんです。それこそ、一人ひとりの部員を我が子のように大切に育てて、我が子のように一緒に暮らして、我が子のように楽しく一緒にご飯を食べて、我が子のようにその性格と顔色を見わけることのできるリーダーが、やっぱり一人ひとりを見ることができるし、全体を見ることができるし、6年のうちに5回優勝できるんです。それは、原監督のすごいところですし、毎年勝ってればもういいやって慢心することがない。彼の言葉ですけど、「進化をやめれば後退し、立ち止まれば衰退する」。家族のようなチームを作り上げ、家族のように常に成長していく青学の天下は、まだ続きそうです。
 進化をやめれば、後退する。それって、どんなチームでも、もちろん教会の話でもそうでしょう。同じレベルを保とうとしていたら、実際には減っていくってことですよ。今まで10やってたから今年も10でいいやと思ってたら、気が付けば9になり、8になってる。教会も、そんな感じになってないですかね。みなさんはどうお思いになりますか。教会が、去年と同じ、一昨年と同じことしてたら、どんどん減っていくんです。8になり7になる。自分たちの現実をよく見てください。どう見えますか。10を保とうではなく、11にしよう、12に増やそう、その気持ちがないと、8になり7になっていく。もっとも、11にしようくらいだと、結果としては10のままですかね。それでも立派なもんですよ。10を保てるなら。実際には、12にしよう、13にしようと思った時に、ようやく11になるんです。
 私の口癖ですけど、「2割増しでいきましょう」。前の年の1.2掛けでやりましょうよ、と。でも、その2割増えるところに、すごい秘密があって、それをやり続けていると、神の国の美しい景色も見えてきますよ。青学も、実は去年5連覇できなかったんです。東海大学に負けました。それで、原監督、さらなる進化をしたんですね。羽生弓弦が、ネイサンチェンに負けたら、また進化しようとしているように、ライバルってそういう意味ではいいですね。原監督、さらに進化して、今回は4年生を特に厳しく指導して自覚を持たせました。そうして4年生を柱にベストの陣営を作ったし、その采配が見事に当たって、優勝した。それを世は「原マジック」なんて呼びますけれど、私に言わせればマジックでも何でもない。一人ひとりとていねいに関わって、家族のようなチームを作り、責任を持たせ、自覚を育てる、そうすれば最高のパフォーマンスを発揮できる。
 教会も一緒でしょう? 家族のように分かち合い、一緒に食事をし、お互いにわかり合い、それぞれの特徴や弱さを知り、それぞれの輝きを見つけていく。輝きを秘めてない人なんていないんだから、それを認め合い、お互いに信頼し合って、そして、全員駅伝。走れるのは10人ですけど、でも給水サポートしているとか、日頃みんなのことを応援して支えているとか、全員で勝ち取った優勝でしょう。ただ走ってるだけじゃない、実は駅伝の魅力はそこにある。スーパースターが勝ちましたという話とは違うんですよ。みんなが家族になって、輝きが増すっていう、それこそが教会の目指す地平です。我々の目指す神の国は、どこにあるか。それを思わせる駅伝の魅力です。そうして、ゴールで、家族全員で最終走者を迎える。
 今年の駅伝で胸打たれたのは、4区の吉田祐也君です。4年生で初箱根なんですね。吉田君、もともとは強くなかったんですよ。小学校3・4年の頃は、クラスでびりから3番目だったと。だけど、好きだった女の子が、「私、足の速い人が好き。」って言ったんですって。女の子ってそういうこと言いますよね。本能ですかね。やっぱり男子は、何十年も昔から、足速いやつが獲物捕まえて帰ってくるわけですから、子育てしている女子としては、足速いやつに思わず惹かれるというのはわからないではないですし、それで頑張っちゃう男子も切ないですけど。でも吉田君、それで走り始め、中高と陸上をやったわけなんですよね。
 で、青学に憧れて入ったわけだけれども、青学に入った時は下から4番目の成績だった。それって、もうその先が見えてるように、思うわけですよね、普通は。だけど、これが原監督のすごいところで、全員にいい所があるのを見てるんですね。もちろん目立つやつ、成績がいいやつもいるけれど、弱いけど人一倍頑張るやつもいる。それをやっぱり監督は、見てるんですよ。吉田祐也は自他ともに認める努力家なんです。青学の中でいちばん努力する選手。それは、監督もよく知っている。でも、成績はもうひとつで、2年、3年の時は、11番選手だったんです。11番選手ってことは、本番で走れない。補欠みたいなもんですね。これ、2年連続11番なんて、腐っちゃうと思いません? でも、監督に従うしかありません。そこを監督は見ています。吉田祐也、腐らずに頑張っている、こいつは、必ず光るぞっていうのを見抜いてるんですね。
 今年、彼は、ついに10人に入りました。こいつには光るものがある、必ずその光を輝かせることができるって、監督は知っていますから、ついに4区を走らせました。そして、なんと、区間新。圧倒的、ぶっちぎりの区間新記録です。吉田祐也。初箱根ですから、ある意味無名ですけど、4区で爆発して光った。彼、言ってました。「原監督を見返してやろうと思って走った」。でも、そういうのをちゃんと原監督は分かってるんですよ。そこがすごい。アナウンサーも何度も叫んでいました。「11番目の選手が、ついに1番になりました!」。おかげで、今年の青山学院の記録は、全体でも大会新記録でした。全体が家族なんです。お互いによく知っていて、信頼していて、そして家族みんなのためにとがんばって、秘められた光を爆発させる。最後、優勝するとき、青山の部員が全員並んで、10区の選手を迎えてましたけど、そのとき、青山学院は笑顔が売りですから、全員爽やかな笑顔でニコニコしてる中で、祐也君だけ、顔くしゃくしゃにしてボロボロ泣いてました。胸打たれました。
 来年もぜひ、1月2日、3日。ぜひ見てください。こうなると私、駅伝大使ですね。面白いですよ。来年はちなみに、土日なんですね。ですから、3日の日曜日の説教のときは、まだ、走ってる途中なんですよ。どうしましょう。1時半頃ゴールですから、来年はミサ終わったら、すぐに大手町に行こうかなとも思ってるんですけど。みんなが、何かすばらしいものを秘めて、走っている。そんな全体が、1つの駅伝を作っていて、最後尾の一人に至るまで、輝きを放っている。あの感じは、なんかワクワクします。
 先ほど、第二朗読で、面白い言い方がありました。『神がわたしに恵みを与えた次第について、あなたがたは、聞いたにちがいありません』(cf.エフェソ3・2)のところ。『秘められた計画が啓示によって、私たちに知らされました』(cf.エフェソ3・3b)、と。「啓示」というのは、秘められたものが、輝きだすってことです。秘められているんだから、そもそもなかったわけじゃない。ちゃんと始めからもうすでにあったんです。でも、それが見えなかった。それを、啓示によって知ることができる、と。啓示というのは、神が教えてくれるっていう意味ですね。神がちゃんとそれを教えてくれる。だから、そこに秘められているものがわかる。秘められているから、普通はみんな、わからない。さっきの話で言うなら、原監督が、吉田祐也を見る目ですよね。他の人には見えない。そこに秘められているものがわからないから、使わない。他の学校だって、実を言うと、もっと大会新記録をだせる何ものかが秘められているんじゃないですか。それを見て、使って、組み合わせて、そして結果を出す。
 この、『秘められたものを啓示によって知る』というのは、キリスト教のとてつもない本質です。これから新しいことをしようとしてるんじゃないんです。例えばこのミサに出ている、みなさんすべての人のうちに、秘められた力があるんですよ。とてつもない力なんです。それをお互いに見出して、尊敬して、受け入れて、信頼を置いて、そんなみんなで一緒にやっていく、その時にとてつもない記録が出る。日本中、世界中、どこの教会にだって、秘められた力、輝きがあるんですよ。ただ、誰もそれを見つけていない。上野教会にだって、可能性が100あるとしたら、まだ、ほんの1・2・3くらいしかやってないと思いますよ。4・5・6やったらとてつもない、そこに、何が待ってるだろう。それは、やっぱり秘められている。何度も言いますけど、ないわけじゃないんです。あるんだけど、出てない。そこを発揮してほしい。みなさんのことですよ。
 ただ、これは、一人でね、よし、俺はこんな力があるぞ、さあ4区を走らせろってわけにいかないんです。みんなで一緒に暮らして、一緒に活動して、お互いにそれを見つけるんです。そして、自分ができるから、私がやるとかじゃなくて、あなたもやってごらんなさいと、失敗してもいいから、一緒にやっていきましょうと。任せたり、褒めたりしながらですね、やっていきましょうよ。原監督って、めったに選手を褒めないのですけれど、吉田祐也のこと褒めてました。秘められたものが明らかになっていくというのは、感動があるんですよね。その感動をもっともっと知りたいって思いませんか。
 3人の博士は、学者ですから、啓示を見破るのが専門なんですよね。星なんて、みんな見てるじゃないですか。いつだって、みんなが見ている。そんな中で、専門家は、この星はすごいって、ちゃんと見つけて、追っかけて、そして、イエスの所にたどり着きました。世界中にこの時、どれくらいの赤ん坊がいたかどうか知りませんけど、馬槽に寝ている幼子を見出して、宝物を捧げて、礼拝して帰っていく。誰も知らないんですよ。羊飼いたちも、啓示によって、ここまで来て、これが救い主だと見破る。そして、それを大切にする。それを人々にも知らせる。3人の博士たちも啓示によって、これはただの赤ん坊じゃない、この私を救う、この世界を救う、人類全体を救う、神さまの愛の表れだ、それを知って礼拝して、そして、世にこのイエスを示す者となる。
 公現の主日です。神さまの秘められた愛が、もはや私たちに現れました。我々もまた、何の変哲もない人です。中には、病気がちで弱い人、精神的に不安定な人、路上で生活している人もいる、でも、どんな人でもいい。すべての人、すべての神の子に与えられた、神さまからのとてつもない輝き、その人が輝いたら、チームが輝く、その人が輝いたら、優勝する。その人の輝きで、世界が感動で包まれる。その輝きを全員が持っています。それを、私たちは、見て、信じて、そして、お互いに尊敬し合って、一緒に走ってまいりましょう。
 今年1年の上野教会に、祝福を祈りたいと思います。それぞれの内にある素晴らしさは、自分では気が付けません。誰かが見つけてあげないと。今年、誰が、誰の素晴らしさを見つけるんだろう。可能性は無数にある。今年新たに現われる誰かかもしれない。久しぶりに来た誰かかもしれない。よその教会の誰かかもしれない。あるいは、今教会の前を通り過ぎている誰かかもしれない。秘められた輝き、それがこの世に現れました。公現の主日に私たちは、神の救いが、もうこの私たちの内に来ていることに感謝し、感動しますけれど、その光は誰かの内に、今は秘められております。すべての人の内におられるイエス・キリストを礼拝するといったのは、マザー・テレサですけれども、みなさんの、今、隣に座っている人だって、あなたの救い主なんじゃないですか。




2020年1月5日録音/2020年1月25日掲載 Copyright(C)2019-2020 晴佐久昌英